入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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2011-04-01から1ヶ月間の記事一覧

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー65 こうしたなかで、承平8年(938年)2月、武蔵国において足立郡司武蔵武芝と武蔵権守興世王(おきよおう)・武蔵介源経基(つねもと)との対立が起きました、新任の権守興世王が足立郡に入り、その状態を調査しようとしたところ、これを…

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◇ 蕨の歴史ー64 9世紀以降、東国では赴任してきた国司が任地に土着する傾向が目立ってきます、彼らは地方にその勢力基盤を確立しようとしたのです、その代表例が桓武平氏です 桓武平氏の関東土着は、桓武天皇の曾孫高望王(たかもちおう)が、寛平2年(…

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◇ 蕨の歴史ー63 こうした警察権の強化にもかかわらず、昌泰年間(898~901年)には僦馬(しゅうば)の党という馬を利用した強盗の集団が、東海道・東山道をまたにかけて暴れ回っていました 昌泰2年(898年)の上野国司の上申によると、彼らは関…

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◇ 蕨の歴史ー62 律令国家が徐々に変質していき、藤原氏(北家ーほっけ)を中心とする摂関政治が始まると、藤原氏以外は高位要職から締め出されていきました、彼らの多くは、国司として地方へ下向する例が多くなりました 地方に下向した貴族たちは、在地の…

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◇ 蕨の歴史ー61 7世紀以前に、東国の馬の飼育についての史料はあまりないのですが、「甲斐の黒駒」や「行方の馬」の話が伝えられています、耕地化されていない土地が広がり、地形が比較的平坦であった武蔵国は、古くから各地に牧が設けられ、馬の飼育が行…

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◇ 蕨の歴史ー60 三世一身法・墾田永年私財法により、以後大社寺・貴族・在地豪族などにより、大規模な荘園経営が行われるようになります、自墾地系荘園の成立です、なかでも、有力な社寺・貴族は自己の政治的地位を利用し、租税免除の不輸権や国司の介入を…

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◇ 蕨の歴史ー59 律令体制の基盤となっていた班田収授法は、人口の増加による口分田の不足などから、8世紀前半には、すでに機能しなくなっていました、養老6年(722年)律令政府は100万町歩の開墾計画を立案しましたが、うまくいきませんでした そ…

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◇ 蕨の歴史ー58 家刀自は、宝亀元年(770年)までは外位の外従五位下に留まっていましたが、同年10月、内位の従五位下に昇進し、延暦2年(783年)には父不破麻呂を越えて正5位下となり、同4年正月には正五位上、5年正月には従四位下となってい…

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◇ 蕨の歴史ー57 武蔵宿穪不破麻呂の場合は、彼自身の資質に負う部分が多かったと考えられますが、娘家刀自(やかとじ)の存在も、また大きな役割を果たしていたものと思われます 家刀自は、不破麻呂により采女(うねめ)として天皇に貢進されましたが、そ…

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◇ 蕨の歴史ー56 8世紀の中頃から史料に表れてくる人物に、武蔵国足立郡の丈部直不破麻呂(はせつかべのあたいふわまろ)がいます、丈部直氏は、部民の丈部を統率した伴造出身の在地豪族ですが、足立郡に勢力を持つようになった時期については、明らかでは…

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◇ 蕨の歴史ー55 防人制に替わり東国の農民を苦しめたのが、蝦夷征討事業です、蝦夷征討事業の本格的な開始は、斉明天皇4年(658年)の阿部比羅夫の時ですが、8世紀に入るとその事業もかなり進み、和銅5年(712年)には出羽国を置き、まもなく陸奥…

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◇ 蕨の歴史ー54 古代の農民には、兵役の義務が課せられていました、兵役は、農民一戸につき正丁3人に1人の割合で徴発することとされ、諸国の軍団の兵士と衛士や防人とにわかれましたが、このうち最も重い負担となったのは防人役でした 軍団制は、通常1…

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◇ 蕨の歴史ー53 これらの貢進物には、荷札として地名や品物の名前・数量などを書いた木簡が付けられ、都へと送られました、そして、現在発掘調査が進んでいる平城京跡からは、こうした木簡が多数出土していますが、その中に、足立郡の郡名と天平7年(73…

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◇ 蕨の歴史ー52 律令政府は農民を公民として掌握し、分田を与えてそこから徴収する租税を財政の基盤としていました、当時の租税制度は大きく分けて「租・庸・調」の3種類があり、この他にも労役がありました 租は田1反について稲刈りした稲2束2把と定…

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◇ 蕨の歴史ー51 律令制度の基礎となっていた斑田収授法は、6歳以上の男女に一定面積の口分田(くぶんでん)を6年ごとに斑給し、そこから納入される租税によって地方行政を運営していこうとするもので、土地の斑給を円滑に行うために区画された耕地が必要…

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◇ 蕨の歴史ー50 「改新の詔」で示された地方制度では、郡の下に里が置かれ、責任者として里長がいましたが、里は霊亀元年(715年)に郷と改められ、郷の下にいくつかの里が設けられることとなりました、『倭名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)』には…

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◇ 蕨の歴史ー49 武蔵国の成立については、史料がなく不明ですが、常陸国の場合『常陸風土記』に、孝徳天皇の時代(645年~654年)に坂東8国の一つとして成立したという伝承があり、前述した武蔵国司の任命時期などを総合すると、武蔵国の成立は、7…

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◇ 蕨の歴史ー48 「大化の改新」によって任命された国司は、令制の国司とは異なり、その任務は①天皇直轄の人民と国造・伴造(とものみやっこ)支配下の人民の戸籍をつくり、田畝を調査すること、②国司は国にあって罪を裁かず、賄賂を受け取らないこと、③国…

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◇ 蕨の歴史ー47 武蔵地方で国造の地位をめぐる争乱が起きていたころ、大和政権では大陸から伝来した仏教への対応や大王位の継承をめぐり、蘇我・物部といった有力豪族の政権争いが展開されていました そして、それに勝利した蘇我氏の権力は、大王家をもし…

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◇ 蕨の歴史ー46 大和政権による地方の支配体制は次第に整備され、推古朝(600年前後)のころには既に国造制(こくぞうせい)が全国的に確立していました、国造とは、大和政権に服属した地方の首長に与えられた称号で、大和政権の地方官的な性格を有し、…

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◇ 蕨の歴史ー45 古代の東国は、信濃国と上野国との境にある碓氷峠と、駿河国と相模国の境にある足柄峠より東の地域で坂東とも呼ばれ、現在の関東地方に相当します 大和政権の支配力の関東地方への浸透を示すものとしてよく知られているものに『日本書紀』…

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◇ 蕨の歴史ー44 さらに、中央2丁目の吉田茂雄家の屋敷内(提示地図の★印のところ付近)から土器片と思われるものが採集されたということで、試掘調査が行われました、幅60㎝ほどの溝と直径1mの土壙などが確認され、特に土壙内には、ハケ目のある土師…

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◇ 蕨の歴史ー43 蕨市内の自然堤防上と思われる所の踏査では、畑地や寺社境内などを隈なく調査しましたが、土器片の散布はなかったようです そうしたなか、錦町5丁目(提示の地図の▲印のところ付近)で、過去に畑地から土器が出土したという情報がありまし…

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◇ 蕨の歴史ー42 集落の各住居跡内には、カマドを設けているのが特徴です、そして、このカマドで使う土器は、長甕(ながかめ)型土器と甑(こしき)型土器です、甑型土器は、きわめて大きくなり、一家が食するに充分な容器となりました カマドの出現により…

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◇ 蕨の歴史ー41 五領期の集落跡は、自然堤防上や低地への谷を見下ろす台地上に多く分布しています、すなわち、さいたま市の大久保地区、土合地区、別所・白幡地区、戸田市域などです、土合地区の本杢遺跡では、S字状口縁やひさご型土器といった弥生式土器…

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◇ 蕨の歴史ー40 弥生時代が終わり、古墳時代に入ったのは、3世紀末か4世紀初頭とされていますが、そのころムラの立地が直ちに変わったということではありません 初期の農耕(水稲耕作)がより発展していってかなりの水田ができ、その生産に支えられたム…

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◇ 蕨の歴史ー39 このような古墳群のそれぞれの特徴に注目して見ます 大久保古墳群中の白鍬塚山古墳はその周堀から、5世紀第3四半期の朝顔形円筒埴輪が出土しています、大久保古墳群の中に、この時期まで遡る古い古墳があったことは驚異的です、また、塚…

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◇ 蕨の歴史ー38 蕨市周辺の古墳では、古くは植田谷(うえだや)古墳群の名で、旧大宮市南西部から旧浦和市北西部の旧植田谷郷(領)内の古墳を呼んだことがあり、支群として、大久保支群、白鍬支群などと呼ばれていました しかし、現在ではさいたま市の大…

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◇ 蕨の歴史ー37 また、この剣の銘文はもう一つの謎を解くことになりました、雄略天皇と思われる有力な手がかりとして「ワカタケル大王」の銘があったのです、そして、これは、九州・熊本県江田船山古墳の銀錯銘大刀にある「ワカタケル大王」も雄略天皇であ…

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◇ 蕨の歴史ー36 古墳で最も大切な内部主体(死者を葬る施設)は、古いものは槨(かく)、竪穴式石室で、6世紀以降になると横穴式石室が盛んに行われるようになります、横穴式石室は、追葬といって石室内に死者を繰り返し葬ることが可能です、したがって、…