入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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2009-12-01から1ヶ月間の記事一覧

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

金錯銘鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [15] 以下は、、考古学者他の銘文解釈の諸説、考察の大雑把な一覧表です、論点はかなりの広がりがあり、なお、今日に至るまで、決定的な定説はありません 追伸 本年も、何とか無事に終わることができそ…

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金錯銘鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [14] 鉄剣の銘文については、その発見以来、京都大学の岸俊男氏、奈良国立文化財研究所の狩野久、田中稔両氏によって、苦心の結果判読されました、その後、2、3の遊離した文字も復原され、全文字が見事…

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金錯銘鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [13] この鉄剣銘文に対する反響は大きいものでした、一振りの鉄剣の115文字は、幾百万倍かの文字の活字を動かせました、新聞のニュースから、学芸欄や文化欄の記事、週刊誌の記事、シンポジュウム、…

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金錯銘鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [12] 昭和53年9月19日発行の『毎日新聞』の夕刊に、稲荷山古墳から検出した鉄剣に、金象嵌による115文字の銘文があることが報道されました、そして、翌朝の各新聞社は、このニュースを大きく…

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金錯銘鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [11] 稲荷山古墳の礫槨では、はじめ北寄りの床面近くから鈴杏葉(すずきょうよう)が出土しました、そして、滑沢のいちじるしい白銅鏡が、表面を上にした状態で表れました、そのそばには、金環もほぼ…

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金錯銘鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [10] 粘土槨と礫槨はその高低に差があり、わずかではあるが、上下にまたがる箇所もあることから、2つ同時に営まれ、2人の被葬者がそれぞれ同時に埋葬されたとは考えられません、粘土槨のほうがやや…

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金錯銘鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [9] 昭和43年8月1日から調査は始まりました、柳田敏司氏や斎藤忠氏(元東京大学教授)等の調査指導部は、東日本の古墳の中には、たとえ時期の下降する古墳でも横穴式石室でなく、原始的な棺槨が墳…

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金錯銘鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [8] 稲荷山古墳は前方部が失われていましたが、そのありし日は主軸の長さ117mに測られる前方後円墳の外観を示し、埼玉古墳の北辺の一隅に、その堂々たる姿をみせていたことでしょう、前方部が削り…

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金錯銘鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [7] 昭和35年(1960年)頃以降、日本は高度経済政策によって大規模な国土開発の波をかぶることになりました、このため、各地で埋蔵文化財(遺跡)が調査もされぬまま破壊されるという事例が激増…

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金錯銘鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [6] 埼玉の東北部忍川に近く、東方に小針沼をひかえた地域には縄文時代の百塚貝塚があり、シジミ、ハマグリなどが主体を占めています、石器時代から入江となり人々の生活により良い環境を提供していた…

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金錯銘鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [5] 埼玉古墳群の周辺は、現在は「さきたま風土記の丘」として整備され、遊歩道や緑地帯が古墳群をとりまき、二子山古墳、稲荷山古墳などの周濠が復原されて水をたたえています、昭和41年(1966…

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金錯銘鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [4] 標高20mの低い台地上に立地する埼玉古墳群は北側に旧忍川が流れ、また二子山古墳の東方の小埼沼(おさきぬま)一帯は、古代には利根川の入江であったと思われます 万葉集巻十四には「埼玉(さき…

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金錯銘鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [3] 埼玉古墳群は、秩父鉄道行田駅の南東方約2.5km、JR吹上駅の東北方約3.5km、熊谷駅から東南東へ、鴻巣駅から北北西へともに約8kmの距離にあります 古墳群は、鴻巣から行田へ抜ける県道…

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金錯銘鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [2] 埼玉古墳群は、埼玉県行田市埼玉に位置している大型前方後円墳を含む北武蔵の最有力な古墳です、北方約7kmには利根川が南東へ流れ、古墳群からは南東方約3kmで元荒川に達します、この両河川に…

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金錯銘鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [1] 埼玉古墳群は埼玉県行田市にあります、「さきたま風土記の丘」として保存整備され、「県立さきたま資料館」が付属してあります 埼玉古墳群は、考古学界では南関東地方に於ける最有力古墳群として早く…

俳句つくり 余情

俳句にします ”公園のベンチの昼餉とんぼ来る” 「蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る」の資料調べのため図書館へ行ったときの光景です、昼に軽食をとろうと隣の公園へ行き、食べ物を広げたところ、とんぼがかすめて飛んでいきました、周りでは若い母親と幼児…

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川口の古を考える 古墳時代の概略 [2] なお、古墳時代は前方後円墳のような大規模なものばかりではありません、円墳を始めとする中小の古墳が群在し、古墳群が形成されている場合が多いのです、こうした群小古墳は群集墳と呼ばれていますが、五世紀後半以降…

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川口の古を考える 古墳時代の概略 [1] 古墳時代は三世紀後半から七世紀の約450年間にわたり、巨大な墳丘と広大な墓域をもつ墳墓(すなわち古墳)が数多く築造された時代です 弥生時代に進行していた集団間の従属関係が、より拡大し政治的地域集団が形成…

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川口の古を考える 新郷古墳群ー峯、東本郷、赤井ー [7] 赤井の円墳については、その台地の周辺一帯が大きく土取りされ往時の地形が著しく変貌していますが、1968年に一部土取り工事がなされた際に、川口市教育委員会によって埴輪片が採集されています、…

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川口の古を考える 新郷古墳群ー峯、東本郷、赤井ー [6] 高稲荷古墳以後の新郷古墳群の展開を見てみると、旧県史にある川口市域とその周辺のものは、次の通りです 谷塚村大字上谷塚 円墳 ○新郷村大字峯 瓢箪塚 前方後円墳 ○同 大字赤井 円墳 ○同 大字東本…

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川口の古を考える 新郷古墳群ー峯、東本郷、赤井ー [5] この地域周辺の古墳分布は、新郷古墳だけでなく、草加市谷塚や東京都足立区伊興周辺、さいたま市大久保周辺、戸田市本町等に広がっているようです、大宮台地鳩ヶ谷支台の最先端部から毛長川流域の自…

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川口の古を考える 新郷古墳群ー峯、東本郷、赤井ー [4] すでに取り上げました峯・東本郷・赤井のかけての大宮台地先端部には、新郷古墳群と呼称されるかなりの数の古墳があります、1951年に刊行された『埼玉県史』第1巻には、北足立郡の古墳分布に触…