入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える

新郷古墳群ー峯、東本郷、赤井ー [6]

高稲荷古墳以後の新郷古墳群の展開を見てみると、旧県史にある川口市域とその周辺のものは、次の通りです

谷塚村大字上谷塚              円墳

新郷村大字峯       瓢箪塚    前方後円墳

○同  大字赤井               円墳

○同  大字東本郷字見沼台        前方後円墳   直刀 曲玉

 鳩ヶ谷町            仙元祠    前方後円墳  直刀 曲玉

 神根村大字道合               前方後円墳  直刀 曲玉

 同大字西新井宿               前方後円墳  直刀 曲玉

新郷古墳群に該当するものは、○印のものです、瓢箪塚は高稲荷古墳のことです、仙元祠は川口市鳩ヶ谷市の境にある独立丘陵でしたが、ほぼ削平されており現在では確認する術はありません、出土遺物についても、これ以外に記録はありません、神根村道合や西新井宿についても同様です、見沼台については、旧県史には次のような記録があります

「峰の西方に隣接せる同村大字東本郷字見沼台に於ては南面せる台地の畑地下二米(六尺)の箇所より昭和十一年二月に直刀・鰐・曲玉・土師土器・人骨・歯牙等を発見せるが、曾て地表に存在せる前方後円墳の永年に亙る耕作によりて其封土を取り去られ、殆んど外形の認め難きに至って地下より偶発掘せられたものにて、峰の古墳と共に足立台地南端に於ける古墳として注目されるべきである」

この古墳は地元で八兵衛山と呼称されていたものに相当すると考えられますが、第2次世界大戦前に県道工事(浦和~草加線)に際して土取りされて消滅したと云われています、その際に遺物が出土したとの伝えがありますが、前記に表示した埴輪はその伝えのもので永らく新郷公民館で保管されてきたものです

形象埴輪で下半部のみしか残存していませんが、左後の腰に鎌と思われるものを付しており男性農夫を表現したものと考えられます、現在高33.2cm、上部径10.5cm、底径15.0cm、で焼成は良好、色は橙褐色です、これが伝承どおり八兵衛山古墳の埴輪ならば、6世紀代の古墳ということになるでしょう

首都高速道路建設に先立つ遺跡分布調査で当該地にあった地形的高まりが同古墳の名残りと判断され、1977年に埼玉県遺跡調査会が発掘調査しました、その結果、墳丘状の高まりは自然地形の残丘であると判断され、八兵衛山古墳なるものは存在しないことになってしまいました

しかし、これは自然地形を八兵衛山古墳の名残りとした誤認からくるものであって、かってここに古墳が存在していたとする旧県史の記述や、地元の伝承まで否定するものではないということになり、前方後円墳であったか否かは不明としても、古墳が存在していた事実は確かと思われます