入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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2011-03-01から1ヶ月間の記事一覧

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー35 最近の古墳文化研究は、著しく発展しています、埼玉県内においても4、5世紀代のいわゆる古式古墳(初現期古墳)についてかなりの注意が払われ、その研究はかなりの成果をあげつつあります かつては、昭和3年発見の桶川市熊野神社古墳(…

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◇ 蕨の歴史ー34 時代は古墳時代に入りますが、墓制の名称がそれを示すように、我が国の歴史上、最も名実ともに特異な時代と言えます、それほど、この時代の墓制は、特異だったのです 墳丘だけでも全長約480m、面積10ha(小学校なら7、8校も出来そ…

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◇ 蕨の歴史ー33 この2遺跡からは弥生時代後期の方形周溝墓が発見されています、鍛冶谷1号方形周溝墓は、東西が13m、溝幅1・3mから1・7mというもので、方形周溝墓としてもやや規模が大きいものです 溝内からは、土器が出土しました、最初の偶然…

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◇ 蕨の歴史ー32 これまで述べてきました遺跡の大部分は、洪積台地である大宮台地に立地しているわけですが、弥生時代は、何と言っても、自然堤防地帯の利用に着目しなければなりません さいたま市桜区の大久保地区や戸田市域、蕨市域、川口市域には、古い…

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◇ 蕨の歴史ー31 住居跡を見ると、隅丸方形で規模に大小があり、一辺3~4mほどで、通例4本の柱と貯蔵穴、それに炉が設けられています、規模が小さくなると、柱穴の数が少なくなっていくようです、中で使われた土器は壺形土器、甕形土器、台付甕形台器を…

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◇ 蕨の歴史ー30 さいたま市明花向遺跡においては、1部ですが、幅1・3~2・0m、深さ90㎝の断面V字状の溝が発見されています、出土土器から中期と後期の両方の時期が考えられますが、集落を囲む溝(環濠)は、弥生時代集落跡に見られる特徴的な遺構…

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◇ 蕨の歴史ー29 方形周溝墓の出現は大きなことを意味します、面積にして100m平方を超えるような墓が、集落と隣合せに次々と出現したり、あるいは耕地を潰すようなことは通常のことではありません、次の古墳時代にその答えが用意してあるように、方形周…

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◇ 蕨の歴史ー28 旧浦和市域の場合は、ほとんど舌状台地上に展開していますが、本村遺跡(さいたま市桜区下大久保)は、荒川低地の古い川が作った自然堤防上に立地しています、蕨市に近い宮ノ台式土器をもつ遺跡をあげると、さいたま市南区の円正寺遺跡、明…

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◇ 蕨の歴史ー27 蕨市域を含めその周辺に弥生文化が到達したのは、紀元前後のことと考えられます 考古学では弥生時代を前期・中期・後期の3時期に区分していますが、弥生時代が600年あるとして、ほぼ200年ずつに3分割できるわけです 前期は紀元前3…

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◇ 蕨の歴史ー26 北九州地方に誕生した弥生文化は、米作可能な土地を求めて拡大していきました、しかし、弥生文化が紀元前300年ごろ北九州に始まったとして、最初の200年、即ち、前期・中期・後期に分けたうちの前期には、伊勢湾周辺に到達したにすぎ…

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◇ 蕨の歴史ー25 縄文時代が農耕と全く関係がなかったわけではないのですが、我が国に於いては一般的に農耕が水稲耕作を意味しているので、縄文時代に米作りをしていない限り、それは根菜類の栽培や果実のなる木を集落のまわりに植えるなど、行動そのものに…

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◇ 蕨の歴史ー24 弥生式土器、弥生時代、弥生文化、弥生人などの言葉は、日本の考古学の用語の中で最も慣れ親しまれたものであると言えます、縄文時代に比べたら20分の1程度の長さしかない弥生時代ですが、これほど一般化したのは、弥生という言葉にある…

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◇ 蕨の歴史ー23 しかしながら、縄文文化1万年の歴史は、幕をおろす時が来ました、安行式土器の文化がこれほど豊かなものであったにもかかわらず、あたかも瓦解するごとく、縄文文化は終えんの時を迎えたのです、晩期後半になると大宮台地周辺は、遺跡数が…

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◇ 蕨の歴史ー22 縄文時代晩期には人面土器とされるものが各地で発見されておりますが、その殆んどは、精製土器で、人面も土偶などに結びつく神秘的な表現をしているのが普通です、呪術的な土器であり、神棚に飾られる器具であるわけで、日常雑器、即ち台所…

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◇ 蕨の歴史ー21 馬場小室山遺跡の第51号土壙は、長径4・40m、深さ2・60mの円筒状の遺構であり、この中から30個体にも及ぶ完形または復原できる土器が出土しました、その殆んどの土器が、縄文時代晩期の安行Ⅲa式とされる粗製土器で、中には文様…

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◇ 蕨の歴史ー20 見沼とその周辺から得られる蛋白源は、人々の生活を永続させるために欠くことのできないものでした、見沼低地から小さなおぼれ谷を挟んで奥まったところにさいたま市緑区馬場小室山(ばんばおむろやま)遺跡があります、この遺跡は、台地場…

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◇ 蕨の歴史ー19 縄文時代後期にも小さな海進(堀之内海進)がありました、沖積作用が進んでいたので、すべての沖積地が海底に入るというわけではありませんでした、なお、中期の春日部市の花積貝塚、川口市の領家貝塚、和光市の吹上貝塚などがあり、一部に…

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◇ 蕨の歴史ー18 戸田市本町地内の湿地から、ほぼ全体の形がわかる十三菩提式土器が発見されています、流れついたものか、実際にそこの地で使われたものか明らかではありませんが、沖積地を移動することができる時期の土器であるだけに、注目されます もし…

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◇ 蕨の歴史ー17 一つの遺跡に数片の土器を残して行ったということは、土器を携えて旅した小集団が、台地の先端部などで、寝たり、調理したりしながら短期間滞在し、また鳥獣を求めて次の先端に移るという形の生活であったと考えられ、そのとき、誤って打ち…

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◇ 蕨の歴史ー16 極端な温暖化がもたらした海水面上昇という現象は、やがておさまり、海水面は再び低下し始めました、その結果海が退き、東京湾は小さくなりました、海が退くに従って古河川は海に向かって河口を延ばしていき、沖積地は拡大されていきました…

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◇ 蕨の歴史ー15 1988年11月、さいたま市南区円正寺で、海抜4mほどの低地の土木工事をしていた際に地下4mのところから、いきなり、女性の頭骨と思われるものが発見されました、円正寺縄文人と呼ばれています 発見地は台地から降りて間もなくの沖…

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◇ 蕨の歴史ー14 大谷場貝塚から発見された貝の殻は、、塩分の強い海に生息するものと河川や湖沼に生息するものの両方があります、とりわけ、マガキやヤマトシジミなど気水性つまり河川の出口など塩分の濃度の低い海に生息する貝が多くありました 特にハイ…

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◇ 蕨の歴史ー13 縄文時代前期前半、地球は沖積世に入って温暖化の極限に達した時期です、東京湾の海水面は、現在より2、3mは上昇していたと考えられます、この時、海水は、埼玉県内に達したのみならず、台地の裾を洗いながら栃木県の南部にまで及んでい…

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◇ 蕨の歴史ー12 最後の氷河期も終わり、温暖化が進み、やがて洪積世から沖積世(完新世=現在まで含まれる)へと移ります、この沖積世に入るころ人々は縄文時代に入ります、そして、土器の出現を見るのです 縄文土器は、早期・前期・中期・後期・晩期と分…

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◇ 蕨の歴史ー11 このころの石器は、剥片(はくへん)石器と呼ばれるもので、石材から薄く剥ぎとった石片(フレイク)に刃をつけたり、刃つぶしをしたりして作ったものです、ナイフ形石器が最も多く見られるもので、石の剥片の上方一方を刃とし、基部や背部…

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◇ 蕨の歴史ー10 浦和・川口などの大宮台地南縁には、数十ヵ所に及ぶ旧石器遺跡が明らかになっています、蕨市に近い、さいたま市南区大谷口(おおやぐち)の明花向(みょうばなむかい)遺跡は、それらの中で最も古いとされる遺跡で、今から約2万5000年…

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◇ 蕨の歴史ー9 約200万年前に第4紀洪積世(更新世)となり、約1万年前までそれが続き、この間、4回の氷期がありましたが、この洪積世のほとんどは、蕨周辺は、人々の住める環境ではありませんでした、氷期と氷期の間には間氷期がありましたが、約12…

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◇ 蕨の歴史ー8 利根川水系の中・下流域は、先史時代以降大きくその流路を変化させてきました、近世の改修以前の利根川は群馬県前橋市付近で関東山地を離れ、熊谷市付近で荒川を合流させ、古(ふる)利根川の名で呼ばれているように、中川低地を流れて東京湾…

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◇ 蕨の歴史ー7 約1万年前までに氷河時代は終了し、温暖化により急激に海面は上昇しました、この海進を日本では縄文海進、有楽町海進などと呼んでいます、最終氷期に形成された谷や段丘は再び海面下となりました 約7000~5000年前(縄文前期)には…

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◇ 蕨の歴史ー6 約7万年前ごろから次第に気温は低下し、極地域に氷床が発達すると共に海水準も低下しました、最終氷期の日本列島は場所により大陸と地続きとなり、日本アルプスや北海道の日高山地の山頂に氷河がかかり、関東平野には亜寒帯針葉樹林が広がっ…