入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

学び合い 〔仲間募集〕 ℡ 048-432-1433

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー16

極端な温暖化がもたらした海水面上昇という現象は、やがておさまり、海水面は再び低下し始めました、その結果海が退き、東京湾は小さくなりました、海が退くに従って古河川は海に向かって河口を延ばしていき、沖積地は拡大されていきました

上流から流れてきた土砂は、流れが緩やかになる下流部に堆積していきました、見沼の出口などは、そこに土砂が積まれることにより閉鎖され、見沼そのものは、淡水湖に変わりました

延長していく河川は蛇行し、氾濫のたびごとに両岸に堆積土を置いていき、沖積微高地を作るとともに後背湿地を作りました、蛇行しながら流路を変えると三日月湖もできました、自然堤防地帯と呼ばれる地形群が誕生してくるのです

海退によって、人々は去っていきました、漁労生活に見切りをつけたのです、縄文時代前期後半の現象です、考古学的には、諸磯(もろいそ)b式土器の後半から同c式、そして十三菩提式土器と続くのですが、このころの大宮台地は過疎を迎えるのです、この時期になると、大きな集落はもとより、小さな集落もなくなりました

1戸だけの住居跡でさえ見つからない、そうかといって、遺跡がないわけではない、しかし、1遺跡で数片あるいは10数片の土器の破片が出土するというあり方なのです、諸磯c式や十三菩提式土器をもつ人々は、その分布を見ると中部山岳地帯を中心として、その根拠をもち、狩猟をしながら、関東平野にも移って来たように思われます