2011-03-11 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 ◇ 蕨の歴史ー15 1988年11月、さいたま市南区円正寺で、海抜4mほどの低地の土木工事をしていた際に地下4mのところから、いきなり、女性の頭骨と思われるものが発見されました、円正寺縄文人と呼ばれています 発見地は台地から降りて間もなくの沖積地で、地層は水分を多く含んでいたので、人骨は劣化せず、極めて良好な状態で採取することができました、そのため、放射性炭素による年代測定はもちろん、食性分析、さらにDNAの検出にも成功しました これらの事から判断して、この頭骨は、今から約5870年前頃に生涯を閉じた壮年の女性で動物性蛋白を多く摂取しており、遺伝子から、現代の東南アジア人と一致すると思われています なぜ、当時の海底(浜辺近く)に頭骨のみが、沈むことになったのか、不可解なところもありますが、縄文時代前期前半にあたるこの時期は、まさに海進期であり、多くの貝塚が付近に作られたころです 近くでは、さいたま市南区太田窪貝塚があり、当時、多くの人々が貝の採集などのために、浜辺で活動したと思われ、その中の一人ともいえる女性の頭骨なのでしょう なお、戸田市内でも沖積地から頭骨が発見されています、放射性同位元素による年代測定では縄文時代前期前半の海進期にあたる5920年前頃のものという数値が出ています