入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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2012-02-01から1ヶ月間の記事一覧

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

《戸田の遺跡》 ◇南原(高知原=たかちぱら)遺跡第5次発掘調査-11 第1・2・3号土壙、1・2・3号掘

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《戸田の遺跡》 ◇南原(高知原=たかちぱら)遺跡第5次発掘調査-10 第1・2・3・4・5・6号溝

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《戸田の遺跡》 ◇南原(高知原=たかちぱら)遺跡第5次発掘調査-9 第8・9・10号住居跡

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《戸田の遺跡》 ◇南原(高知原=たかちぱら)遺跡第5次発掘調査-8 第4・5・6・7・11号住居跡

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《戸田の遺跡》 ◇南原(高知原=たかちぱら)遺跡第5次発掘調査-7 第1・2・3号住居跡

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『蕨城(館)は戸田・蕨両方にあったのではー蕨城を考える』-⑰ 1371年(応安4年)、渋川義行が武蔵国司の任を命ぜられ、その居館を構えたのは巷間”百井の屋敷”があった所の付近で”戸田の御所”といわれたのではないでしょうか(古代以来、戸田付近を統…

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《戸田の遺跡》 ◇南原(高知原=たかちぱら)遺跡第5次発掘調査-6 第5次調査は、これまでの調査地点からは約200mほど東にあり、やや傾斜する自然堤防の縁辺付近に立地します、検出された遺構は住居跡11軒、土壙3基、溝6本、掘3本、ピット群3群…

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《戸田の遺跡》 ◇南原(高知原=たかちぱら)遺跡第5次発掘調査-5 これまでの1~4次に渉る発掘調査により、南原の地は集落跡として4世紀ころから開け、人々の生活が営まれていたことがわかります また、南原遺跡の住居跡からは在地の土器とは異なる外…

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《戸田の遺跡》 ◇南原(高知原=たかちぱら)遺跡第5次発掘調査-4 南原遺跡は、荒川(中期入間川)によって形成された自然堤防の南端に立地しています、古墳時代前期をはじめとする集落跡・古墳群、さらに中・近世を通じて現在まで人々の生活が営まれてい…

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《戸田の遺跡》 ◇南原(高知原=たかちぱら)遺跡第5次発掘調査-3 【3】は上戸田本村遺跡です、昭和53年に市史編纂事業として発掘調査を実施しています、ここからは五領期の方形周溝墓及び住居跡、鬼高期(古墳時代後期)の住居跡等が検出されています…

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《戸田の遺跡》 ◇南原(高知原=たかちぱら)遺跡第5次発掘調査-2 戸田市に於ける遺跡の大部分はこの南原遺跡の位置する自然堤防上に立地しており、北側を流れる菖蒲川を渡って北に連なっています、この遺跡を含めて5ヶ所の遺跡が近在しており、いずれも…

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《戸田の遺跡》 ◇南原(高知原=たかちぱら)遺跡第5次発掘調査-1 南原遺跡(第5次調査)の調査地は、戸田市南町2270番地にあります、第1次から4次調査の地点から東へ約200mの位置です、JR埼京線の戸田公園駅より約600mのところで、さら…

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《戸田の遺跡》 ◇南原(高知原=たかちぱら)遺跡第2・3次発掘調査-⑬ 遺跡を概観して見ますと E地区は、D地区の発掘調査と同じ第3次調査で発掘しました、北側の菖蒲川に向かって傾斜しているところで127・5平方mが調査区です、調査区内には平面形…

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『蕨城(館)は戸田・蕨両方にあったのではー蕨城を考える』-⑯ これまでに巷間に伝わっていた伝承や、研究されてきた文献情報を中心に学んできましたが、観応の擾乱(観応2年ー1351年)以後から渋川義行の武蔵国司拝命(応安4年ー1371年)までは…

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《戸田の遺跡》 ◇南原(高知原=たかちぱら)遺跡第2・3次発掘調査-⑫ 遺跡を概観して見ますと C地区は倉庫建設中に鬼高式土器(長甕形土器)が発見されたところです、現在、倉庫と個人住宅となっています、これらの建物群の西側と北側は低湿地で、昭和4…

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《戸田の遺跡》 ◇南原(高知原=たかちぱら)遺跡第2・3次発掘調査-⑪ 遺跡を概観して見ますと B地区は、昭和45年度にA地区の第2次発掘調査と平行して実施されました、B地区の発掘調査は倉庫と資材置き場に挟まれた狭い空き地内のため、100平方m…

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《戸田の遺跡》 ◇南原(高知原=たかちぱら)遺跡第2・3次発掘調査-⑩ 遺跡を概観して見ますと A地区は第1次調査で、北側約3分の1について調査が行われました、その結果方形周溝墓1基(南原1号)、円墳周掘1基(南原1号古墳)、中世の溝状遺構が発…

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《戸田の遺跡》 ◇南原(高知原=たかちぱら)遺跡第2・3次発掘調査ー⑨ これまでの南原遺跡第1、2、3次発掘調査で判明した遺構とその時代・時期を整理してみますと、次のようになります 古墳時代前期前半(五領Ⅰ) 住居跡4軒(A地区) 古墳時代前期前…

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《戸田の遺跡》 ◇南原(高知原=たかちぱら)遺跡第2・3次発掘調査ー⑧ 〔F地区〕 昭和47年度に発掘調査を実施した地区で、A地区の東、B地区の北、D地区の南側にあたる畑です、この地区もD地区と同じように東に向かって傾斜しています、調査の結果、…

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《戸田の遺跡》 ◇南原(高知原=たかちぱら)遺跡第2・3次発掘調査ー⑦ 〔E地区〕 D地区の北側に当たる地区です、この地区の北側に菖蒲川が東流していますが、この川の南側は、かってC地区の西・北側と同じ沼地となっていたところで、現在でも沼であった…

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《戸田の遺跡》 ◇南原(高知原=たかちぱら)遺跡第2・3次発掘調査ー⑥ 〔C地区〕 倉庫建設中に鬼高式土器(長甕形土器)が発見された地区です、現在、倉庫・個人住宅地となっています、これらの建物郡の西側及び北側は低地で、昭和45年ごろまでは水がた…

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『蕨城(館)は戸田・蕨両方にあったのではー蕨城を考える』-⑮ 鎌倉時代以降、戸田に係わりのあった武蔵武士として文献上に登場してくるのは佐々目太郎、戸田兵衛尉茂平、墨田五郎時光らがいます 『承久記』は承久の乱の顛末を叙述した一種の軍記ものですが…

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《戸田の遺跡》 ◇南原(高知原=たかちぱら)遺跡第2・3次発掘調査ー⑤ 〔B地区〕 四方を倉庫に囲まれてしまった狭い地区です、ここは倉庫建設中に土器の破片を発見した場所であり、45年度に第2次調査発掘を行いました

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《戸田の遺跡》 ◇南原(高知原=たかちぱら)遺跡第2・3次発掘調査ー④ 〔A地区〕-ⅲ

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《戸田の遺跡》 ◇南原(高知原=たかちぱら)遺跡第2・3次発掘調査ー③ 〔A地区〕-ⅱ

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《戸田の遺跡》 ◇南原(高知原=たかちぱら)遺跡第2・3次発掘調査ー② 〔A地区〕-ⅰ 昭和44年度に第1次調査、昭和45年度に第2次調査を実施した地区です、この地区の西側は低地となっており、かって出水時には浸水地帯でした

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《戸田の遺跡》 ◇南原(高知原=たかちぱら)遺跡第2・3次発掘調査ー① 南原遺跡は、標高約5mの中期入間川(現荒川)の流路に平行して発達した火山灰質の砂質粘土からなる黄褐色土層を基盤とする細長い自然堤防上に位置します、遺跡の範囲はかなり広範囲…

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《戸田の遺跡》 ◇南原(高知原=たかちぱら)遺跡第1次発掘調査ー⑨ (7) 総括 【古墳の周掘】・続 調査範囲内の周掘からは人物埴輪頭部、大物埴輪の部分、器材埴輪の破片、円筒埴輪が出土しています、このうち円筒埴輪は鴻巣市生出塚(おいねづか)埴輪窯…

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《戸田の遺跡》 ◇南原(高知原=たかちぱら)遺跡第1次発掘調査ー⑧ (7) 総括 【古墳の周掘】 これまでに判っている埼玉県南の荒川下流域左岸の古墳は、さいたま市北区日進(旧大宮市)からさいたま市大宮区(旧大宮市)三橋の並木・側ヶ戸、さいたま市西…

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『蕨城(館)は戸田・蕨両方にあったのではー蕨城を考える』-⑭ 戸田に伝わる伝承に”高知原(たかちぱら)”という地名があります、多吹苑ー百の井屋敷ー南原遺跡の付近にあったといわれています、高知=たかしる所、政治を行った所という意味でしょうか、別…