入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

『蕨城(館)は戸田・蕨両方にあったのではー蕨城を考える』-⑮

鎌倉時代以降、戸田に係わりのあった武蔵武士として文献上に登場してくるのは佐々目太郎、戸田兵衛尉茂平、墨田五郎時光らがいます

『承久記』は承久の乱の顛末を叙述した一種の軍記ものですが、その中に幕府軍の総大将北条時房に従って近江の勢多橋(現滋賀県大津市)の合戦で活躍した武士の一人として佐々目太郎の名があげられています、彼は江戸八郎や足立三郎など一緒に戦っており、また「佐々目」姓を名乗っているので、佐々目郷を本領とする武蔵武士の一人ではなかったかとも考えられます、ただし、それを裏付ける根拠は今のところまったくありません

また、『吾妻鏡』に執権北条政村が催す宴に祭し、馬牽き役として戸田兵衛尉茂平なるものが記されています、「戸田」姓を名乗ることから戸田に根拠もつ武士と考えられますが、その傍証は全くなく確かなことは判りません、ちなみに戸田の地名が何時から用いられたかは不詳です

更に、『新編武蔵風土記稿]には、現在の戸田市新曾に墨田五郎時光なるものがいて、文永8年(1271年)日蓮宗寺院・妙顕寺日蓮の高弟日向を招いて開山したと言う伝承が載っています、しかし、墨田五郎時光の実在も確かなものではありません

このように佐々目太郎・戸田兵衛尉茂平・墨田五郎時光のいずれも現在の戸田市域との係わりを裏付ける確実な論拠はなく、あくまでも推測ないし伝承の域を出るものではありません