入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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2010-12-01から1ヶ月間の記事一覧

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 日本のポンペイ黒井峯・西組遺跡ー15 二ッ岳が爆発し黒井峯に軽石が降り始める前後、竪穴内に難を避けるように入り込んだ人間(複数・男女か)は入り口を破って侵入する熱い軽石を防ぐため持っていた鋤と鍬で土間に穴を掘り、その土を軽石にかぶせ防ごう…

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◇ 日本のポンペイ黒井峯・西組遺跡ー14 幹道は居住単位の境目に位置し、道の両側に幅1mから2mの歩道のような盛り土があり、歩いてはいないが祭祀を行った跡があり、玉類をはじめとして土器類を壊して点々と置いたものや交差点でT字路に設けられている…

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◇ 日本のポンペイ黒井峯・西組遺跡ー13 軽石の直下には縦横に走る細い道がめぐらされ、家と家を結んだり、水を汲むための道、畠に行く道などさまざまあり、当時の人の頻繁な動きを正確に見ることができます 道がどうして出来てくるか、その意味や背景を考…

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◇ 日本のポンペイ黒井峯・西組遺跡ー12 家畜の農業利用は建物内から牛馬の道具などはみられないので判断はできませんが、両遺跡で発見された水田や畠の耕作する作業を復元すると、行われていないのではないかと推定されます、水田については県内の例を含め…

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◇ 日本のポンペイ黒井峯・西組遺跡-11 古墳時代の農業に対する今までの考えは、近年各地で発見される水田跡から稲による単作論の説明が多いようですが、黒井峯・西組遺跡の農業技術を考え合わせると、水田や畠作も同時におこなわれた複合形態であり、特に…

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◇ 日本のポンペイ黒井峯・西組遺跡ー10 このような事例は民俗学の研究で、北太平洋の海岸部や島に生活していた民族の大半がよく似ていることから想定されました、これらの民俗の家は冬の雪や凍結、厳寒を防ぐため竪穴式住居を作り、丸太作りの屋根上には土…

俳句つくり 余情

”神還りインク売場の慌し” 出雲から神様が戻り、師走です、電気店のプリンターのインク売り場は年賀状作成のための客で、大混雑でした ”小春日の小橋ぬけるや鷺つがい” それでも春を思わせるような温かい日があり、餌さを捜す鷺も気分よさそうに用水の上を飛…

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◇ 日本のポンペイ黒井峯・西組遺跡ー9 このような調査結果をみると、共通点として竪穴式住居1棟に隣接して柴垣に囲まれた家屋群が現在でいう1世帯を成していたことが判ります、平地の家屋群の内外には小区画に区切られた畠・高床式建物・円形の平地式建物…

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◇ 日本のポンペイ黒井峯・西組遺跡ー8 建物にはさまざまな形や性格が見られますが、黒井峯と西組では村の構成内容に差が見られます、黒井峯遺跡では竪穴式住居1棟に対し、すぐ隣接して柴垣に囲まれた平地式建物や高床式建物群が調査で4単位確認されており…

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◇ 日本のポンペイ黒井峯・西組遺跡ー7 高床式建物の調査では、籾や壺・甕類がたくさん出てくるであろうと期待していたのですが、穀物類や壺・甕類はひとつも出ず、空の状態でした、このことは、この遺跡では屋根の破壊が著しいという共通点があり、火山活動…

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◇ 日本のポンペイ黒井峯・西組遺跡-6 寝起きするための場所は幅約1m幅で北壁や西壁に併行してみられ、土間の湿気や冷気を防ぐのに木を組んだものや、篠竹を1m幅に合わせて敷きならべた上に藁や編物を置いた痕跡が残されています、この痕跡の広さを現在…

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◇ 日本のポンペイ黒井峯・西組遺跡ー5 平地式建物は、竪穴式住居跡と違い大きな穴を掘らずに建てられた家屋です、火山灰などない地域では、基礎が浅いせいか見つけることは不可能といってよいでしょう、黒井峯・西組の両遺跡から発見された約43軒の建物は…

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◇ 日本のポンペイ黒井峯・西組遺跡ー4 古墳時代の建物の種類には、地面に大きな穴を掘った半地下式の竪穴式住居と呼ばれているものと、大きな穴は掘らず地表面に直接建ててしまう平地式建物(住居や納屋なども含む)、高床式建物の3種類があります、従来の…

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◇ 日本のポンペイ黒井峯・西組遺跡-3 榛名山は長年の火山学の研究成果から6世紀に2度にわたって大爆発を起こし、山麓といわず群馬県一帯に火山灰や軽石をまき散らし災害をあたえたことが判っています、この2度の爆発地点は現在の二ッ岳(1343m)の…

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◇ 日本のポンペイ黒井峯・西組遺跡ー2 黒井峯・西組(にしぐみ)の2つの遺跡は関東平野の北西の端、群馬県のほぼ中央に位置します、榛名山と子持山の中間、利根川と吾妻川の合流点に面した数段の河岸段丘上にあります、この遺跡のある旧子持村は畑に大小の…

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◇ 日本のポンペイ黒井峯・西組遺跡-1 上毛・榛名山の5~6世紀における大噴火により埋もれた群馬県子持村(現・渋川市北牧3-48)の黒井峯遺跡(1988年3月調査終了)は、古墳時代の東国の村と生活を理解できる重要な遺跡です

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◇ 古墳時代の人々の暮らし-4 古墳時代の川口市周辺の地域では、漁労への依存度がかなり高かったようです、鳩ヶ谷市三ッ和遺跡、草加市蜻蛉遺跡・同西地総田遺跡、越谷市見田方遺跡などで漁労のおもりである土錘が出土しています、足立区伊興遺跡でも、土錘…

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◇ 古墳時代の人々の暮らしー3 鉄製品の普及は弥生時代後期からみとめられていますが、それは主に工具類であり、農具は木製品が主役でした、古墳時代になると特に5世紀以降、改良型の鉄製農具が伝わってきました、鍬や鋤の刃先に改善が加えられ、より深く土…

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◇ 古墳時代の人々の暮らし-2 一般の人々の住居は引き続き竪穴住居が主流でしたが、大きな変化もありました、住居内にこれまでの炉に代わって、竃(カマド)が登場することです、カマドは、一方の壁(東か北の壁)に寄せて粘土をつき固めて築いたもので、、…

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◇ 古墳時代の人々の暮らし-1 川口市付近の古墳時代の集落跡は、まだ、十分に調査されていませんが、近隣の調査結果を基に古墳時代の人々の生活をざっと想像してみます 古墳時代になってムラの構成にあらわれた大きな変化は、豪族と一般の人々とが隔絶して…

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◇ 芝峰町遺跡(古墳時代) 1996年1月に、芝中学校校舎南側の長徳寺境内に接する場所に、ごみ捨て穴が掘られた際に、ほぼ完形に近い土器が発見されました、芝中学校ではそれ以前にも土器が発見されており、長徳寺境内でも土器片が採集される点から、古墳…

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◇ 石御堂遺跡(古墳~江戸時代)(続) この遺跡は古墳時代から中・近世にあたって生活が営まれたところですが、遺構、遺物の中心は中・近世のものであり、天目茶碗などの茶陶も出土していることから、溝などの遺構は武士階級の住居に関連するものと考えられ…

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◇ 石御堂遺跡(古墳~江戸時代) 石御堂遺跡は、川口市東本郷(石御堂・南前)にあり、毛長堀に沿った自然堤防上にあります、県道大宮東京線建設に伴う事前調査で、古墳時代から江戸時代にわたる遺構が検出されました 古墳時代を示す遺構は、貯蔵穴状の土壙…

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◇ 猿貝北遺跡(奈良・平安時代)(続々) 出土遺物は製鉄遺構としては多く、土師器・羽口・鋳型・鉄塊があり、原材料と思われる砂鉄・木炭・砂が多量に認められます、また遺構周辺には多量のスラグが散在しています 土師器は、高台付坏が多いのですが、図示…

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◇ 猿貝北遺跡(奈良・平安時代)(続) 検出された遺構では、製鉄炉跡6基、製鉄炉に伴うと思われる土壙12基、台地の傾斜面上部で奈良時代後半と思われる住居跡2軒、台地平坦面では時期不明であるが、溝・土壙・井戸跡などが多数あります 検出された製鉄…

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◇ 猿貝北遺跡(奈良・平安時代) この遺跡は外郭環状道路の建設工事に伴い、埼玉県埋蔵文化財調査事業団が1981年10月から1983年7月まで、記録保存を目的として、発掘調査しました、大宮台地の東南の鳩ヶ谷支台にあり、川口市安行(大元)に位置し…