入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 日本のポンペイ黒井峯・西組遺跡ー12

家畜の農業利用は建物内から牛馬の道具などはみられないので判断はできませんが、両遺跡で発見された水田や畠の耕作する作業を復元すると、行われていないのではないかと推定されます、水田については県内の例を含めても小区画水田と呼ばれている面積の小さいもの(数平方m)が多く、牛馬による掘り返しや代かきはとうてい出来ない状態です

水田での牛馬耕作は面積の広いものか、幅は狭くとも長いものでないと家畜が折り返すことができず、扱いにくいものとなってしまうからです

畠ではどうかというと長さと幅は充分あるが、土起こしの状態から鍬や鋤の刃先痕が短い間隔で残っていることが多く、畠作りに牛馬を利用したかは確たる証拠を得ることができておりません、今後のより詳しい調査を待つところです

6~7世紀の段階で福岡・大阪・香川・静岡・東京・福島・宮城の各地から牛馬耕作にともなう木製農耕具が発見されてきていることを考えると、黒井峯・西組遺跡でとくに面積の広い畠はその可能性が高いといえます、また、この他に家畜の利用は遺跡周辺の水場から水の運搬などの作業にもしばしば使われていたでありましょう

生活にもっとも必要な水は、村が作られている台地の斜面に自然の湧水地が豊富にあり、各居住単位ごとに1つずつ持っています、この水場は3ヵ所発見され、発掘途中でも大量の湧水に悩まされるほど湧き出していました、この中で大型の水場をみると、径10mの擂鉢の形をした状態で、水溜め部は板材で堰止め、堰板の中央にV字の切り込みが付けられ、ここから流れ出るようにされています

これに付属して板を敷き並べた洗い場があり、水は下流にある小区画水田に常に流れるよう水路が掘られています、洗い場には須恵器の大甕や水を運ぶ提瓶が置かれ、そのほかに瓜や瓢箪・桃の種などが棄てられています