2010-12-23 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 ◇ 日本のポンペイ黒井峯・西組遺跡ー13 軽石の直下には縦横に走る細い道がめぐらされ、家と家を結んだり、水を汲むための道、畠に行く道などさまざまあり、当時の人の頻繁な動きを正確に見ることができます 道がどうして出来てくるか、その意味や背景を考える時に解決する方法は、現代の生活からその糸口を見い出すことができるのではないか、たとえば県庁がどこにあるか知らない時、私たちは通りすがりの人か駐在所に行き手っ取り早く尋ねて教えてもらう 答えてくれる人は、行きやすいように、道順とその近くにある目立つものを一緒に含めて説明しているだけで、目的の県庁については一切省略してしまいます、つまり道を尋ねて道順を聞いているわけです、しかも、目的地へはまっすぐな道はどこへ行っても見られないのが現状で、曲がりくねった道、幅の広い道や狭い道、行き止りの道、何本もの道が集まった交差点を縫うように行かなくてはなりません あまりの複雑さに不便を感じ、怒ったり、疑ったりしてしまうのが現代の感覚です、複雑な道のあり方は、元をただせば人通りが初めから作られたのではなく、家が先にあったため迂回せざるを得なかったのです 2つの遺跡から古代の道は現在の道路とまったく同じ位置に走っていることが多く、地形の変わり目などにあり、道のつけられる原理は基本的には変化せず現在に至っています 遺跡で発見される道は、軽石を取り除けば古代の地表面の上につけられているためすぐに見つけることができ、手で押したり歩いただけで固いという感触をもてます、試しに5寸釘を、道とそうでない所を突き刺すとはっきりし、道でない所は5寸釘の頭まで容易に打ち込むことができる柔らかさです この古代の道の特徴をみてみますと、80cmから1m幅の幹線的な役割をもつ幹道と約30cm前後で幹道から枝分かれした枝道、同じ30cm幅で一時的に使われあまり固くない踏み跡の3つのタイプがあります、いずれも道幅が狭いのは荷車のような道具がなく、1人分の歩く道幅を基本としているとしているからのようです