入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 日本のポンペイ黒井峯・西組遺跡ー14

幹道は居住単位の境目に位置し、道の両側に幅1mから2mの歩道のような盛り土があり、歩いてはいないが祭祀を行った跡があり、玉類をはじめとして土器類を壊して点々と置いたものや交差点でT字路に設けられていることが多く、他の枝道などではまったく存在しないことから中心的な路線となっています

交差点には5差路・4差路・T字路がありますが、なかでもT字路がもっとも多く道をたどると居住単位である屋敷範囲を迂回するようになっています、このことは家屋群だけの範囲を1単位の広さとして捉えることでは説明がつかず、もっと広く幹道までの土地面積を所有していたと考えられます

枝道は幹道に結ばれてはいるものの、1本の距離は短く、住居同士をつなぐことや畠との関係に多いようです、しかも、途中で廃道となっている例もあることから必要に応じてつけ替えたようです

そのほか、似た性質でT字路などの交差点を通らず距離をかせぐ近道も同時に作られています、踏み跡は畠の表面にあり、耕作途中や収穫時に使われたとみられ、数ヵ月のうちに雨風で消滅する痕跡のようです

黒井峯から発見された竪穴式住居を1988年の冬に調査した際、つぶれかかった土屋根の下に、災害の最中、人が逃げ込んでいたことが判明しました

この住居は1辺が約6m4方、深さ1・3mのもので内部の土間にたくさんの穴が掘られ、掘った土は軽石に覆われていました、軽石は数時間ぐらいで積ったと考えられ、この時間内での出来事がこの発掘調査で、ある程度想像できるようになりました