2008-06-01から1ヶ月間の記事一覧
戸田の古を考える 鍛冶谷・新田口遺跡12号周溝墓出土土器です
戸田の古を考える 鍛冶谷・新田口遺跡12号方形周溝墓です
戸田の古を考える 鍛冶谷・新田口遺跡1号住居跡出土土器です
戸田の古を考える 鍛冶谷・新田口遺跡1号住居跡(古墳時代前期)です
戸田の古を考える 鍛冶谷・新田口遺跡1号方形周溝墓出土の壷形土器他です
戸田の古を考える 鍛冶谷・新田口遺跡1号方形周溝墓から出土した壷形土器です
戸田の古を考える 鍛冶谷・新田口遺跡 B区6号です
戸田の古を考える 鍛冶谷・新田口遺跡全景の航空写真です
戸田の古を考える 鍛冶谷・新田口遺跡 鍛冶谷1号方形周溝墓出土土器です
戸田の古を考える 鍛冶谷・新田口遺跡の調査地位置と年次です
戸田の古を考える 鍛冶谷・新田口遺跡
戸田の古を考える 鍛冶谷・新田口遺跡
戸田の古を考える 前谷遺跡 出土した須恵器坏形土器(9~10世紀)です
戸田の古を考える 前谷遺跡 昭和42年(1967)に弥生町器の壷形土器が発見され、昭和47年(1972)に市教育委員会によって280.5平方メートルが発掘調査がおこなわれました 弥生時代後期(弥生町期)及び古墳時代前期前半(5領Ⅰ期)の方形周…
戸田の古を考える 前谷遺跡 上戸田2丁目の上戸田福祉センターの西側一帯です、弥生時代後期、古墳時代前半、平安時代の遺跡です
戸田の古を考える 戸田の弥生時代 約3000年から3500年前、古期利根川が古期荒川とともに、中川低地へその流路を変えため、荒川低地を流れる河川は、西方の丘陵より流れ出る古期入間川水系のみとなったのですが、そのための流量の減少で荒川低地に与…
戸田の古を考える 戸田の縄文時代 縄文時代前期の前半は海進が最も大きく、川越市付近まで海水が上がっていましたが、前期の後半から段々と海は後退し、中期には海岸線は和光市の吹上貝塚付近まで後退し、中期後半には埼玉県内から海が完全になくなってしま…
”家去る日いつものように紫陽花が” 新聞のコラムから作りました、事情があって、年老いた女性が永年住み慣れた家を後にする時、ふと振り返ると、そこにいつものように、紫陽花の花が咲いていたという話です、変わらないようでも少しずつ時が移ろうはかなさで…
”走り梅雨葉々生々と伸張す” 5月の陽光をたくさん受けて成長した木々や草花の葉が、梅雨の前ぶれの雨で、生き生きとしている様子です、人間の世界がいろいろと騒がしくても、自然は着実に移ろってゆくようです ”年頃の娘の日傘おおいえず” 近所の運動公園付…
ちょっと、ひと休みして俳句にします ”陽に青葉ゴッホの才能ちと欲しき” 5月も末となり木々の葉も青々と茂り、光の濃くなった陽に生々と映えていました、ちょっと、ゴッホの絵のような盛んなものを感じました、自分にも彼のような才能があればと思いました …
戸田の古を考える・弥生時代 戸田市内遺跡分布と方形周溝墓です
戸田の古を考える・縄文時代 縄文時代の人骨化石と十三菩提式(じゅうさんぼだいしき)土器です
戸田の古を考える 戸田の古代の地層、地形の移り変わりです
縄文時代を企画展示模型などで想像して見る 縄文時代の人口とその後の推計です
縄文時代を企画展示模型などで想像して見る 想像した縄文人の男女の顔です
縄文時代を企画展示模型などで想像して見る 縄文時代の各地の工芸品です
縄文時代を企画展示模型などで想像して見る 縄文時代(三内丸山出土)のポシェット(小袋)です、クルミの殻が入っていた、高さ約13センチ
先日、「広報 WARABI 蕨6」が入りました、特集 ”市政検証委員会の結果報告”があり、財政と市の管理職の組織に大きな問題があることは、よくわかりました、ただ、前から何となく疑問に思っていることですが、蕨市と蕨ケーブルテレビとの関係がわかりませんで…
縄文時代を企画展示模型などで想像して見る 縄文時代の出土品(布片)や出土した土器文様から想像、復元した衣服です
縄文時代を企画展示模型などで想像して見る 縄文時代(三内丸山)の大型竪穴住居内の生活の想像図です