入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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2011-01-01から1ヶ月間の記事一覧

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 足立郡衙と足立氏-7 采女は、本来、地方豪族の服従の証として天皇家に貢進されたもので、人質的性格を持っていましたが、令制では郡司の子女から容姿の端正な者が選ばれました、采女は朝廷の諸役に配置されましたが、奈良時代も後半に入ると後宮の女官と…

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◇ 足立郡衙と足立氏-6 8世紀の中頃から度々史料の中に登場してくる人物に、武蔵足立郡の人、丈部直不破麻呂(はせつかべのあたいふわまろ)がいます、丈部氏は「西角井(にしつのい)系図」(大宮氷川神社・西角井家文書)によると武蔵国造の兄多毛比命(…

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◇ 足立郡衙と足立氏-5 「改新の詔(みことのり)」で示された地方制度では、郡の下に里が置かれていましたが、この里は霊亀元年(715年)に郷と改められ、この郷の下にいくつかの里が設けられるようになりました、そして、更に天平十二年(740年)頃…

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◇ 足立郡衙と足立氏-4 大化元年(645年)、大和政権中央では中大兄皇子や中臣鎌足らの宮中クーデターで、「大化改新」が起こります、「改新の詔(みことのり)」が発せられ、同年8月には東国国司の任命があります、文献上にあらわれてくる最初の武蔵国…

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◇ 足立郡衙と足立氏-3 大和政権による地方支配体制として、6世紀を通じて次第に整えられ、推古朝(600年前後)に至る頃には、既に全国的に確立していたとみられるのが、国造制です(癸己の年・633年物部連兄麻呂が聖徳太子の舎人となり、その功によ…

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◇ 足立郡衙と足立氏-2 具体的な郷の比定については、これまで諸説ありますが、川口市域は発度郷や大里郷、更に発度郷は鳩ヶ谷市を含むその周辺で発度(ホット)→鳩ヶ谷(ハトガヤ)のつながりが重視されています、大里郷については蕨・笹目・川口にあてる…

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◇ 足立郡衙と足立氏-1 7世紀後半以降、東国は地方制度の整備が進み、律令国家体制が確立していきます、古墳時代において大規模な古墳を築造した豪族層は、今まで支配していた土地・人民を大和政権によって統轄され、政府の地方官人などへ変質を遂げてゆき…

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◇ 東国の古代豪族と仏教ー13 埼玉県埋蔵文化財調査事業団副部長 高橋一夫氏 論文より 「律令時代の地方豪族は、郡司になるかならないかは経済的にきわめて重要なことであった、郡司は終身制であった、そこで、郡司に登用されなかった他の有力豪族は、郡司…

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◇ 東国の古代豪族と仏教ー12 埼玉県埋蔵文化財調査事業団副部長 高橋一夫氏 論文より 「神火の起きる1年前、物部直広成は仲麻呂追討の功により入間宿禰を賜っている、ときに正六位上である、このように入間郡における2大豪族の1方の雄の物部氏は、入間…

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◇ 東国の古代豪族と仏教ー11 埼玉県埋蔵文化財調査事業団副部長 高橋一夫氏 論文より 「文献によると、入間郡には二大豪族がいた、物部直広成(もののべのあたいひろなり)(後の入間宿禰)に代表される物部一族と大伴部赤男(おおとものべあかお)に代表…

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◇ 東国の古代豪族と仏教ー10 埼玉県埋蔵文化財調査事業団副部長 高橋一夫氏 論文より 「丈部直(はせつかべのあたい)不破麻呂も物部直広成も中央において、高麗郡出身の高麗福信によって引き立てられて行ったと云われている(原島礼二氏・『8世紀の武蔵…

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◇ 東国の古代豪族と仏教ー9 埼玉県埋蔵文化財調査事業団副部長 高橋一夫氏 論文より 「女影廃寺の軒丸瓦は、その後の武蔵国の寺々の創建瓦の文様意匠に強い影響を与えている、女影廃寺の創建軒丸瓦を参考に造ったと考えられる軒丸瓦は3系統ある」 「A系統…

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◇ 東国の古代豪族と仏教ー8 埼玉県埋蔵文化財調査事業団副部長 高橋一夫氏 論文より 「高麗郡では、まだ、郡衙跡は確認されていないが、女影廃寺・大寺廃寺・高岡廃寺の3ヵ所が存在する、大寺廃寺と高岡廃寺は丘陵上にあり、近くに郡衙を求めるだけの広さ…

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◇ 東国の古代豪族と仏教ー7 埼玉県埋蔵文化財調査事業団副部長 高橋一夫氏 論文より 「武蔵国で文献によって郡の設置がわかるのは高麗郡である、『続日本紀』によると、高麗郡は駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野にいた高麗人1799人をもって設…

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◇ 東国の古代豪族と仏教ー6 埼玉県埋蔵文化財調査事業団副部長 高橋一夫氏 論文より 「各国の造寺の様子を郡単位でみてみると、郡によってはまだ寺院跡が確認されていないところもあるが、基本的には有力豪族のいた郡は、国分寺造営以前に寺院を建立してい…

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◇ 東国の古代豪族と仏教ー5 埼玉県埋蔵文化財調査事業団副部長 高橋一夫氏 論文より 「その後、須恵器工人は馬騎の内廃寺の瓦づくりにかりだされた、素弁十葉蓮華文軒丸瓦は須恵質の焼成で、また、8世紀初頭の瓦は須恵器工人が使う道具で、さらに、須恵器…

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◇ 東国の古代豪族と仏教ー4 埼玉県埋蔵文化財調査事業団副部長 高橋一夫氏 論文より 「東国各国の初期寺院は多少の年代の差はあるものの、7世紀後半には建立されている、その後、各郡に寺院の建立がはじまった、その状況を武蔵国において見てみよう」 「最…

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◇ 東国の古代豪族と仏教ー3 埼玉県埋蔵文化財調査事業団副部長 高橋一夫氏 論文より 「次に、古墳の動向を見てみよう、この周辺の古墳の石室は、600年前後に横穴石室から胴張り横穴式石室へと変化する、この600年前後という時期は、羽尾窯跡で須恵器…

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◇ 東国の古代豪族と仏教ー2 埼玉県埋蔵文化財調査事業団副部長 高橋一夫氏 論文より 「大化改新の主人公の一人である蘇我倉山田石川麻呂は、大化改新の4年前の641年(舒明13年)、山田寺の造営にとりかかった、そして、7年後の648年(大化4年)…

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◇ 東国の古代豪族と仏教ー1 埼玉県埋蔵文化財調査事業団副部長 高橋一夫氏 論文より 「東国への仏教文化の伝播は予想以上にはやかった、古墳の遺物の中に、仏教文化の息吹を感じとることができるのである、仏教関係遺物と呼ばれているものに、銅鋺・金銅製…

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◇ 古代武蔵国の駅路ー9 東山道、東山道武蔵路に近接する上野国新田郡衙の郡庁跡の調査、発掘状況です、遺跡は2008年に史跡に指定されました、7世紀から10世紀にわたる大規模な(一辺90m、石敷き)施設です

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◇ 古代武蔵国の駅路ー8 調査・発掘は更に進んでいます ⑧ 川越市下広谷の古海道東遺跡で、南北約15mにわたる道路の側溝が発見され、側溝の中から8世紀末~9世紀の土器が出土しました、これにより、平城京と東国を結ぶ東山道の支道で、上野国と武蔵国を…

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◇ 古代武蔵国の駅路ー7 更に、調査・発掘があります ⑥ 国分寺市でも、平成7年(1995)秋、武蔵国分寺の遺跡の近くで約330mまっすぐに延びる幅約12mの古代官道が発掘されました、この道路跡は東山道から分岐して武蔵国府に通じりものとみられま…

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◇ 古代武蔵国の駅路ー6 その他にも、古代の道と思われる遺跡が幾つか、発掘・確認されています ④ 群馬県新田町から境町に向けて幅12mで一直線に通っている道が発見されました ⑤ 所沢市東上遺跡でも幅12mで南北に通った道が発見されました

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◇ 古代武蔵国の駅路ー5 古代武蔵国を通る官道を示唆する、幾つかの重要な調査発掘が最近ありました、それをもとにして考察を進めてみます ① 奈良・平城宮跡の発掘調査により、長屋王邸跡に比定された区域の北側の井戸の中から、表に「武蔵国□□郡宅□駅菱一斗…

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◇ 古代武蔵国の駅路ー4 更に、森田氏は「乗瀦=杉並区天沼、豊島=千代田区神田、河曲=隅田川左岸、浮島=隅田川と太日川の中間、井上=松戸にあてると考える、宝亀二年以前の東山道使は、上野国新田駅から五箇駅を経て古利根川沿いに南下して、太日川左岸…

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◇ 古代武蔵国の駅路ー3 続いて森田氏の説は「豊島駅は北区王子か千代田区神田とし、豊島駅から下総国府へ向かう駅道は隅田川ないし江戸川=太日川を渡ったはずであり、隅田川左岸の下総側と江戸川の渡渉地点および両地点の中間に井上・浮島・河曲3駅があっ…

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◇ 古代武蔵国の駅路-2 坂本太郎氏(『日本古代史の基礎的研究』下「乗瀦駅の所在について」)、小野文雄氏(『埼玉県の歴史』)が、それぞれが武蔵国府と東山道を結ぶルートを想定していますが、森田悌氏(『古代の武蔵』)は両説は整合性がないとし、次の…

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◇ 古代武蔵国の駅路-1 古代武蔵国は東山道に所属し、東海道は相模国府を出ると三浦半島から房総半島へ渡り、上総から下総・常陸方面へ向かっていました、東山道は上野から下野へ行く途中で南下する支路が設けられ、武蔵国へ行っていました しかし、8世紀…

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明けましておめでとうございます、本年もよろしくお願いします ◇ 想定される関東の地名の起こり 関東地方の地理・歴史を考える上で重要な要素となる地名の起こりについては、確たる遺物はありませんが、尾崎喜左雄氏は次のように想定しています(「毛野の国」…