入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 東国の古代豪族と仏教ー11

埼玉県埋蔵文化財調査事業団副部長 高橋一夫氏 論文より

「文献によると、入間郡には二大豪族がいた、物部直広成(もののべのあたいひろなり)(後の入間宿禰)に代表される物部一族と大伴部赤男(おおとものべあかお)に代表される大伴部の一族である、広成は中央で武官として活躍したことは『続日本紀』によって知ることができる、一方、大伴部赤男は769年(神護景雲三年)西大寺に対し、商布1500段・稲7万4000束・墾田40町・林60町を献上し、一躍名を高めた」

「ただ、ここで問題となるのが、これらを西大寺に献上した時期である、769年(神護景雲三年)9月17日に入間郡の正倉四倉が焼けた、いわゆる『神火』(じんか)である、『神火』は正倉に放火して現郡司を追い落とす手段として使われたり、または実は正倉を空にしておいて放火し、中味もろとも焼けたと称し私欲を肥やした郡司もいたようだ」

入間郡の正倉の『神火』がそのどちらにあたるか即断はできないが、赤男が西大寺にあのような莫大なものを献上しながら叙位されたのは、それから9年後の777年(宝亀八年)であった、それも死に際して外従五位下が追贈されている、通常、献上から叙位まで九年もかかり、また死後の追贈はまれである」

「これには何かの要因があったはずである、その1つとして朝廷は大伴部赤男が入間郡正倉の神火と何らか関連があることをすでに察知していたために、生前に叙位しなかった、とも推測できるのである(加藤かな子氏『北武蔵の古代氏族と高麗郡設置』)」