2008-04-01から1ヶ月間の記事一覧
主な遺跡を調べて見る 石神貝塚・川口 遺跡のある台地は、南西から入り込む開折谷の支谷により西側を、南東および北東から入り込む開析谷の支谷により、東側と南西側を区画されています 標高は南東部が標高18メートルと高く、中央部から西部が15メートル…
主な遺跡を調べて見る 石神貝塚・川口 出土したシカ下顎骨と土器です
主な遺跡を調べて見る 石神貝塚・川口 縄文海進当時鳩ケ谷支台は、海に突き出た岬のようになっていたのでしょう、地形も現在より陸は標高が高く、現在低地になっているところは深く切れ込んでいて、谷のようになっていて、海水が入り込んでいたのでしょう
主な遺跡を調べて見る 石神貝塚・川口 遺跡の場所は、鳩ケ谷方面からの日光街道(105号)が東京外環自動車道と交差する少し手前の、石神下バス停付近にあります、川口市石神から新井宿の大宮台地・鳩ケ谷支台のほぼ中央です、鳩ケ谷支台は、開折谷による…
主な遺跡を調べて見る 石神貝塚・川口 縄文時代後期初頭から晩期中葉まで、集落が営まれた遺跡ですが、当時の生活を物語るいろいろな遺物が出土しています 上左は水場遺構から出土したヒスイ玉、上右は漆をこした織布、下は草本類の茎を精巧に編み上げて形を…
主な遺跡を調べて見る 石神貝塚・川口 水場遺構(湧井)です、新鮮な生活水を確保するため、湧水点にイヌガヤの杭材と縦に半割りされたクリの側材を井桁に組んで、足場を確保しています
”菜の花の塀の上なる菜種梅雨” 桜の終わった後も寒さが、少し戻ったり、雨が続いたりしました、その雨のせいか菜の花が背高く伸び、塀の上から黄色い花を覗かせていました、ちょっとユーモラスな光景でした ”はなみずきツツジの赤を追いかけり” そして、雨が…
”こいのぼり花散る川で初泳ぎ” テレビの画面からの句です、染め上がったこいのぼりを、桜の花がひらひらと散っている川の水で、洗っている状景です、こいのぼりにとって空に泳ぐ前に本当の鯉になって水に泳いでいる感じがしました ”菜の花に定まらぬ墓の埋も…
気分を変えて俳句にします ”風吹くな同期のさくら興させよ” 4月4日に、高校同期生の集まりで花見がありました、すでに、少し盛りを過ぎ、風も吹いてきました、なんとか花がもってほしいと願う気持ちです ”用水へ枝垂れくだるや花こずえ” 桜が満開となり、…
主な遺跡を調べて見る 叺原(かますはら)遺跡・川口 縄文時代の土器です、右上の2つは出土した場所(炉穴)、形状から想像して煮炊き用でしょう
主な遺跡を調べて見る 叺原(かますはら)遺跡・川口 縄文時代の住居址から出土した土器です
主な遺跡を調べて見る 叺原(かますはら)遺跡・川口 縄文時代の住居址から出土した土器です
主な遺跡を調べて見る 叺原(かますはら)遺跡・川口 縄文時代の住居址と埋甕です
主な遺跡を調べて見る 叺原(かますはら)遺跡・川口 縄文時代住居址です
主な遺跡を調べて見る 叺原(かますはら)遺跡・川口 時代は、また少し、さかのぼりますが、縄文時代の住居址です
主な遺跡を調べて見る 叺原(かますはら)遺跡・川口 土師器甕転用被い(図1・2・6)です、甕からの転用で、蔵骨器の被いに使われています、甕の最大径を意識的に(先端の鋭い工具であらかじめ切断すべき部位に傷をつけ)切断し、被いとしています、任意…
主な遺跡を調べて見る 叺原(かますはら)遺跡・川口 須恵器蓋・壷の実側図です、昨日の想像の続きですが、荘園の始めというより、もう少し前の古代からの豪族<足立氏>関係の痕跡なのかとも思いますが、証拠はありません、<足立氏>については、また、後…
主な遺跡を調べて見る 叺原(かますはら)遺跡・川口 土師器甕の実測図です、遺跡にはこれらの火葬墓群から南へ少し離れた舌状台地縁辺部で、1軒の竪穴住居址が見られます、9世紀(平安時代)、住居址、火葬墓群などを思い合わせると、地方での荘園の始ま…
主な遺跡を調べて見る 叺原(かますはら)遺跡・川口 この遺跡の場合、一般的な蔵骨器使用の土中埋納ですが、大別して2つに分けられます、1つは約50センチメートルの穴を掘り、その中に火葬骨を納めた蔵骨器を直接埋納するタイプ(13基)です、もう1…
主な遺跡を調べて見る 叺原(かますはら)遺跡・川口 平安時代、叺原は、かなりまとまりのある火葬墓を中心とする大墓地であったようです、従来、火葬墓の発見は、耕作中或いは土地造成中に単独で偶然出土することが多いのですが、この遺跡の場合、3群21…
主な遺跡を調べて見る 叺原(かますはら)遺跡・川口 縄文後期~晩期前半になると叺原(かますはら)遺跡では称名寺式から堀之内Ⅰ式期の柄鏡形住居址12軒と土溝群で構成される集落が見られます、住居址は斜面部にあり、台地平坦部は土溝があるだけで、住居…
主な遺跡を調べて見る 叺原(かますはら)遺跡・川口 縄文時代早期には、撚糸文系式期の住居址2軒が検出されています、1辺約2メートルと約4メートルの不整形で、掘り込みは浅く、そのうち1軒は炉を持っています、南側斜面に作られ、日当たりの良好な斜…
主な遺跡を調べて見る 叺原(かますはら)遺跡・川口 川口市内では、約20箇所の旧石器時代の遺跡が確認されています、その内で、1983年までに、天神山遺跡、赤山陣屋遺跡、海道西遺跡、叺原(かますはら)遺跡、ト伝(ぼくでん)遺跡、吉岡遺跡の6遺…
主な遺跡を調べて見る 叺原(かますはら)遺跡・川口 出土石器です
08・3月に配布されました市議会だよりは質問者の実名入りで、非常に良い方向に向いて来たなと思っていましたが、08・4月に配布されました”広報蕨4”ではそれがありませんでした 市長の施政方針表明全文がありましたので、割愛されたのかもしれませんが…
主な遺跡を調べて見る 叺原(かますはら)遺跡・川口 叺原遺跡は先土器時代から平安時代にいたる複合遺跡のようです 先土器時代は、東側台地中央に形成された鞍部周縁に、ほぼ環状に存在する10ヶ所の石器集中箇所と、ナイフ形石器、尖頭器、スクレイバーな…
主な遺跡を調べて見る 叺原(かますはら)遺跡・川口 遺跡は鳩ヶ谷支台西部の洪積台地にあり、芝川沖積地から北東方向にかけて大きく開折する付近でも有数の規模を誇る浸食谷の最深部きわから派出する舌状台地の上に位置しています 浸食谷は、左右方向にわた…
主な遺跡を調べて見る 叺原(かますはら)遺跡・川口 遺跡は、高速道路の交差する川口ジャンクションの付近,川口市大字石神(叺原)にあります、1982年に埼玉県立青陵高等学校の建設用地で確認され、記録保存のため、1982年10月~83年10月ま…
主な遺跡を調べて見る 叺原(かますはら)遺跡・川口 人類の祖先が地球上に登場するのは、今から2~300万年前ですが、それから約1万2000年前の縄文時代までを旧石器時代と呼んでいます 旧石器時代の地球は、大規模な氷河が広い範囲をおおった時代で…