入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 古代武蔵国の駅路ー4

更に、森田氏は「乗瀦=杉並区天沼、豊島=千代田区神田、河曲=隅田川左岸、浮島=隅田川と太日川の中間、井上=松戸にあてると考える、宝亀二年以前の東山道使は、上野国新田駅から五箇駅を経て古利根川沿いに南下して、太日川左岸の井上駅まで進出し、そこから浮島・河曲・豊島・乗瀦を経て府中へ至ったのである、新田・足利駅間の分岐点から松戸まで直線で75km余あるから、その間に少なくても5駅程度あったことになる」

「五箇を駅名でなく5つの駅を意味する語とする解釈があり、論が分かれている、その根拠として、五箇ないし某箇なる地名は中世的なそれで、古代地名にふさわしくないということがあげられることがあるが、古代に於いても様々な文脈において某箇なる語法があるから、某箇、五箇という地名があっても不自然ではないであろう、群馬県邑楽郡千代田町利根川畔に上五箇なる地名はあるから、このあたりを五箇駅の故地と考えてよい、②の文章の作り方からみても五箇を駅の名前と解すべきことが判る」

「”五箇駅を経て、武蔵国へ至る”も五箇駅を経由して、武蔵国内へ到達し、ついでいくつかの駅を経て武蔵府中へ至るということなのであろう、ある国へ至るないし達すとは、国境をこえてその国へ入ることであり、従って5つの駅を経て国府へ至るということではないと考えられるのである、官符などで5つの駅のことをいう場合『五駅』と称すのが通例であり、この点からも、五箇駅は地名とするべきなのである」

群馬県東山道を調査した人たちは東山道から武蔵へ行く支路を武蔵路と称しいるが、場合によっては、古利根川の水路を利用し、松戸=井上駅まで出たのであろう、新田駅から利根川畔までの武蔵路址はかなり明瞭に認められるらしい、しかし、利根川をわたると、古道址が確かでないようであり、これは水路を利用したため検出できないのだと考える事が可能である」

井上駅から先は、先述来の5駅を通り府中へ至ったのであるが、乗瀦駅が廃止されてしまったのは、東山道使が豊島駅から府中へ行くには、中間に乗瀦駅を置くのを便宜としたが、武蔵国東山道から切放されると駅使は店屋ないし小高から支路をとり府中へ入り、ついでもと来た道に戻り、東海道本道に沿い下総へ向かうようになったことによろう」としています