入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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◇ 古代武蔵国の駅路ー5

古代武蔵国を通る官道を示唆する、幾つかの重要な調査発掘が最近ありました、それをもとにして考察を進めてみます

① 奈良・平城宮跡の発掘調査により、長屋王邸跡に比定された区域の北側の井戸の中から、表に「武蔵国□□郡宅□駅菱一斗五升」裏に「霊亀三年十月」と記された木簡が発見されました、この木簡は、武蔵国の郡名と駅名の一字が明確には読み取れませんが、いままで記録に無い駅から、おそらく特産物として霊亀三年(717年)に献上された菱の実に付けられた荷札です、これにより街道替え[宝亀二年(771年)]以前に、乗瀦・豊島・井上・浮島・河曲の5駅でも、五箇駅でもない、別の駅が存在したことが実証されました

② 埼玉県行田市小敷田遺跡から、表に「九月七日五百廿六□□四」裏に「丗六次四百八束并千三百七十小稲二千五十五束」と記された出挙(すいきょ)に関すると思われる木簡が出土しました、その他にも 稲束の数、畳・薦(こも)の数を記した木簡もあり、一般的な集落とは考えられない遺跡です、この地域が埼玉郡の西側の縁辺で、大里郡との境界近くであることから郡役所とは考えられず駅家であった可能性が高い遺跡であろうと思われています

③ 東京都北区西ヶ原2丁目、京浜東北線上中里駅の南側で御殿山といわれている遺跡から郡役所と思われる遺構が発見されました、この地域は豊島郡にあり、豊島郡は郡役所と駅家が同じ箇所にあるらしいので、豊島駅はほぼこの地に確定されたと考えてよいと思われます