入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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◇ 古代武蔵国の駅路-2

坂本太郎氏(『日本古代史の基礎的研究』下「乗瀦駅の所在について」)、小野文雄氏(『埼玉県の歴史』)が、それぞれが武蔵国府と東山道を結ぶルートを想定していますが、森田悌氏(『古代の武蔵』)は両説は整合性がないとし、次のように論を展開しています

「井上・浮島・河曲・乗瀦・豊島の5駅の比定を試みるに際しておさえておかねばならないポイントは、①宝亀二年(771年)以前において5駅を通る駅路は、東山・東海両道の使用人により利用されていた、②宝亀二年の以前の段階では、武蔵国府へ向かう東山道上野国より南下し、府中に達すると、もと来た道を引き返した、③廃止された乗瀦駅は措いて、他の4駅は、武蔵から下総へ向かう東海道に沿って位置していた、の3点である」

「③から井上・浮島・河曲・豊島4駅は武蔵から下総方面へ行くルート上ということになるので、自ずと東京湾沿いの官道が想定され、古利根川沿いに北上する駅道上に置くことは難しくなろう、乗瀦駅にしても、廃止されるまで武蔵から下総へ行く使人が使っていたのであるから、大宮まで北上することはありえず、従って大宮市天沼にあてるべきでなく、杉並区天沼とすべきであろう」

神護景雲のころ井上以下5駅は東山・東海のいずれにも属さず、両道の使者が共用していたのであるから、純然たる東海道である下総国府寄りに位置することはあり得ず、宝亀二年以前武国府へ行く東山道使は上野国から南下し、次いで引き返すということであり、かかる東山道の使者以外に南関東方面を旅行する東山道駅使は考えられないから、上野国から南下する東山道使が問題の5駅を通過し、府中へ至ったことが確実である」

「即ち、5駅は武蔵府中と下総国府との間に位置し、かつ、南下する東山道駅使が利用していたことになる」