入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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◇ 古代武蔵国の駅路-1

古代武蔵国東山道に所属し、東海道相模国府を出ると三浦半島から房総半島へ渡り、上総から下総・常陸方面へ向かっていました、東山道は上野から下野へ行く途中で南下する支路が設けられ、武蔵国へ行っていました

しかし、8世紀後半になると東京湾沿いに陸路をとり相模から下総へ行くようになり、武蔵国府へ向かう官道は東山道の支道を南下するより東海道方面から到達する方が便利となり、宝亀二年(771年)以降東山道から東海道へ所属替えとなりました

この間の事情に関する史料は次のようなものがあります

① 下総国井上、浮島、河曲三駅、武蔵国乗瀦、豊島二駅は、山海両路を承け、使命繁多なり、中路に准じて馬十匹を置かんことを乞う、勅を奉はるに奏に依れ、[『続日本紀神護景雲二年(768年)三月一日条]

② 太政官奏す、武蔵国は山道に属すといへど、兼ねて海道を承く、公使繁多にして祇供堪え難し、それ東山の駅路は、上野国新田駅より下野国足利駅に達す、これ便道なり、耐るに枉げて上野国邑楽郡より五箇駅を経、武蔵国に到る、事畢はりて去る日、また同じ道を取り下野国へ向かふ、今東海道は、相模国夷参駅より下総国へ達す、その間四駅にして、往還便近なり、而るにこれを去り彼につくは損害極めて多し、臣等商量するに、東山道を改めて東海道に属けむ、公私所を得人馬息ふあらむ、奏可す、(『続日本紀宝亀二年十月二十七日条)

③ 武蔵国駅馬ー店屋・小高・大井・豊島各十疋 伝馬ー都築・橘樹・荏原・豊島郡、各五匹

  下総国駅馬ー井上十疋、浮島・河曲各五匹、茜津・於賦各十疋 伝馬ー葛飾郡十疋、千葉・相馬郡各五疋            (延喜兵部式駅伝条)

①から武蔵国乗瀦・豊島、下総国井上・浮島・河曲五駅が神護景雲のころ東海・東山両道を行く使者により利用されていたこと、②から宝亀二年以前において武蔵国へ向かう東山道使者は新田・足利両駅の間で南下していたこと、および、③から東海道が相模から陸路下総へ向う段階になると、乗瀦駅は廃止されたが、豊島・井上・浮島・河曲駅は官道沿いの駅として利用されていたことが判ります

古代官道沿いの駅名は延喜兵部式駅伝条や『和名抄』から知られていますが、乗瀦・豊島・井上・浮島・河曲5駅は単に名前が知られてるだけでなく、奈良時代末期における官道の変更と関係しており、具体的にそれらがどこを指していたのか、戦前より多くの研究がなされています