入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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◇ 東国の古代豪族と仏教ー1

埼玉県埋蔵文化財調査事業団副部長 高橋一夫氏 論文より

「東国への仏教文化の伝播は予想以上にはやかった、古墳の遺物の中に、仏教文化の息吹を感じとることができるのである、仏教関係遺物と呼ばれているものに、銅鋺・金銅製水瓶などがあり、銅鋺は関東各地の古墳から出土している」

「そのほか、仏教文化の影響を受けているといわれるものに、高崎市八幡観音塚古墳の出土の銅製の杏葉(馬具の一種で扁平な飾物)がある、その杏葉には、仏像の光背にみられる火焔と同じ文様が透彫されている、そのほかこの古墳からは銅鋺・銅製承台付蓋鋺が出土している、八幡観音塚古墳の年代は6世紀末と考えられており、そのほかの銅鋺を出す古墳も、6世紀末から7世紀初頭という年代があたえられている」

「ちょうどこのころ、日本最初の寺院である飛鳥寺の造営が開始され、完成に近づきつつあった、飛鳥寺の造営開始は588年(崇峻元年)であった、1957年(昭和32年)その飛鳥寺の塔心礎の発掘調査が行われ、593年(推古元年)に仏舎利とともに埋納された遺物が発掘された、その主なものは、勾玉・管玉・切子玉・ガラス製トンボ玉・ガラス製小玉・小刀・金銅製耳飾・青銅製の馬鈴、鞍の後につける飾りの一種の蛇行状鉄器、鎧などであった、『出土品を整理していると、あたかも横穴式石室を発掘し、その副葬品を整理しているのではないか、と錯覚しかねないほどであった』と発掘調査を担当した坪井清足氏は語っている」

飛鳥寺の寺域は東西二町南北三町で、中枢伽藍は一塔三金堂と、講堂・南門・中門・回廊からなる荘厳な寺であった、にもかかわらず、寺の象徴ともいえる塔心礎の埋納品には、古墳文化のにおいを色濃く残していたのであった、逆に東国では古墳の遺物の中に、わずかに仏教文化のにおいを感じることができるのである」

「東国の古墳の被葬者が、果たしてどこまで仏教を理解していたのかは疑問であるが、明日香の地に立派な寺院が建立されようとしていることは、東国の豪族たちの耳に達していたことであろう、東国の古墳に見られる仏教関係の遺物は、仏教文化への憧れ、あるいは新しい文化をいち早く取り入れようとする東国の豪族たちの意思を表していると理解してよいだろう」

「東国での仏教文化の受容は、このように古墳時代にその下地が用意され、その後大きく開花していくのである、東国最古の寺院跡は、埼玉県比企郡滑川町にある寺谷(てらやつ)廃寺である、発掘調査は実施されておらず、どのような寺院かは不明であるが、飛鳥様式の特徴を示す八葉蓮華文軒丸瓦が出土している、今のところこれに匹敵する古い瓦は、東国では見つかっていない」