入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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◇ 東国の古代豪族と仏教ー5

埼玉県埋蔵文化財調査事業団副部長 高橋一夫氏 論文より

「その後、須恵器工人は馬騎の内廃寺の瓦づくりにかりだされた、素弁十葉蓮華文軒丸瓦は須恵質の焼成で、また、8世紀初頭の瓦は須恵器工人が使う道具で、さらに、須恵器の甕をつくる方法で平瓦を作っている、このように、きわめて独特の方法で瓦をつくっていることから、この方法を馬騎の内技法と呼ばれている」

「つまり、馬騎の内廃寺の造瓦には、須恵器工人が深く関与していたのである、須恵器工人は当初古墳の副葬品の須恵器を焼いていたが、寺院の建立とともに瓦の製作にたずさわり、また寺院で使う仏具や日常雑器も焼いたのである」

「中小前田古墳群と馬騎の内廃寺は、須恵器工人を媒介として密接な関係にあることが判明した、7世紀初頭の末野窯跡産の須恵器を出土した6号墳は、胴張り横穴式石室であった、金井塚良一氏によると、胴張り横穴式石室は壬生吉士氏の墓制となるが、いずれにしても馬騎の内廃寺は榛沢郡における有力豪族によって建立されたと考えてよいだろう」

「馬騎の内廃寺は末野窯跡群の中心にあり、その山麓に多くの窯跡が存在する、馬騎の内廃寺の建立者は須恵器生産を発展させ、末野窯跡群の管掌者として大いに栄えていったことが予想されるのである」

「ここで、国分寺創建以前の各国の寺院の造営状況を表と分布図にまとめてみよう」