入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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◇ 足立郡衙と足立氏-7

采女は、本来、地方豪族の服従の証として天皇家に貢進されたもので、人質的性格を持っていましたが、令制では郡司の子女から容姿の端正な者が選ばれました、采女は朝廷の諸役に配置されましたが、奈良時代も後半に入ると後宮の女官として高位に昇る者も現れてきました、家刀自は、その代表的な人物でしょう

不破麻呂は、こうした地位にあった家刀自を通じて天皇家との結び付きを持ち、自己の政治的・経済的地位の向上を図ったものでしょう

家刀自の没後は、その弟である武蔵宿禰弟総(おとふさ)が延暦七年(788年)に外従五位下に叙せられ、同十四年に父不破麻呂と同様に足立郡の大領として武蔵国造に任じられています、しかし、これ以後は武蔵宿禰に関する記述はいっさい見られなくなっています

これは、家刀自の死によって武蔵宿禰中央政府との結び付きがなくなったためと思われます、なお、先に述べました西角井家に伝わる系図によれば、10世紀に起きた平将門の乱に関係する足立郡司武蔵武芝(むさしのたけしば)は、この武蔵宿禰の後裔であるとされています(この系図の信頼性については全体的に、大いに疑問がありますが)