入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

学び合い 〔仲間募集〕 ℡ 048-432-1433

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 足立郡衙と足立氏-6

8世紀の中頃から度々史料の中に登場してくる人物に、武蔵足立郡の人、丈部直不破麻呂(はせつかべのあたいふわまろ)がいます、丈部氏は「西角井(にしつのい)系図」(大宮氷川神社・西角井家文書)によると武蔵国造の兄多毛比命(えたもひのみこと)の子孫にあたるり、足立郡郡家郷に本拠置き、足立郡司をを勤めるかたわら氷川神社さいたま市大宮)の祭祀を行ってきた伝統的豪族でした

丈部直不破麻呂は、また、天平宝字八年(764年)の恵美押勝(えみおしかつ)の乱にあたり、その鎮圧に貢献したということで外従五位下に叙されています、その後、着々と昇進し、神護景雲元年(767年)には武蔵宿禰(むさしすくね)の姓(かばね)を与えられ、武蔵国造に任じられています

そして、神護景雲三年には内位に叙せられ従五位上を与えられています、また、宝亀四年(773年)には平城京佐保川の堤防修理に携るなど、中央の官人たちの中で地方豪族としては異例の活躍をしています、このような不破麻呂の栄進を助けたのは、彼の娘の家刀自(やかとじ)の存在です

家刀自は、采女(うぬめ)として不破麻呂のもとから天皇に貢進されており、宝亀元年(770年)までは外従五位下にとどまっていましたが、同年、内位に移ってからは延暦二年(783年)には正五位下、同四年には正五位上と急速に昇叙し、延暦六年(787年)に従四位下で没しています