入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 足立郡衙と足立氏-4

大化元年(645年)、大和政権中央では中大兄皇子中臣鎌足らの宮中クーデターで、「大化改新」が起こります、「改新の詔(みことのり)」が発せられ、同年8月には東国国司の任命があります、文献上にあらわれてくる最初の武蔵国司は引田朝臣祖父(ひきたのあそんおおじ)です(703年・大宝3年7月)

律令体制下の武蔵国がいつごろ成立したかを示す史料は発見されていませんが、武蔵国司の任命時期から、その成立時期はおそらく7世紀の中頃から後半にかけてではないかと推定されます、武蔵国府は現在の東京都府中市宮町付近であろうと思われます

国の中はさらに郡・里に分かれます、武蔵国内の郡は暫時設置されていったようで、天平宝字2年(758年)新羅郡の設置を最後として完了しています、10世紀に編さんされた『延喜式』や『和名類聚抄』によると武蔵国は豊島・足立・新座(にいくら)・荏原・埼玉・入間・高麗・比企・横見・大里・男衾(おぶすま)・幡羅(はら)・榛沢・児玉・賀美(かみ)・那珂・秩父・多摩・橘樹(たちばな)・都筑(つづき)・久良(くらき)の21郡が置かれていました

足立郡の南部、豊島郡と接するあたりが現在の川口、鳩ヶ谷、戸田、蕨と思われます、国の下部組織である郡には国の場合の国府にあたる群衙が置かれ、郡司が政務を行っていました、足立郡の群衙は現在のさいたま市大宮付近にあったのではないかと推測されてきています