入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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◇ 東国の古代豪族と仏教ー8

埼玉県埋蔵文化財調査事業団副部長 高橋一夫氏 論文より

高麗郡では、まだ、郡衙跡は確認されていないが、女影廃寺・大寺廃寺・高岡廃寺の3ヵ所が存在する、大寺廃寺と高岡廃寺は丘陵上にあり、近くに郡衙を求めるだけの広さは存在しない、創建時期は、大寺廃寺からは平城宮系の瓦で、平城第Ⅱ期の瓦が出土していることから8世紀第2四半期に、高岡廃寺は8世紀後半に位置づけられることから、高麗郡設置に一番近い時期の寺院は女影廃寺ということになる」

「女影廃寺は台地上にあり、近くに郡衙を形成する余地は充分にある、女影廃寺の特徴はなんといっても、創建瓦が新治廃寺と同笵関係にあるということである、新治廃寺はさきに述べたように、新治郡衙にともなう寺院であり、その瓦は川原寺ー下野薬師寺という格式高い寺の瓦の系統を引いており、常陸国内の主要寺院の創建瓦にも強い影響を与えている、その瓦を女影廃寺は創建瓦として採用したのである」

「さきに見た下野薬師寺と播磨溝口廃寺の、同笵関係と文献史料から、岡本東三氏は官寺の場合には、笵は公的機関が所有管理し、それを貸与するという事実を明らかにした、女影廃寺と新治廃寺は、下野薬師寺と播磨溝口廃寺ほど離れていないが、国を越えて笵が動いている事実には変わりない 」

「建郡ということ自体、武蔵国一国ででき得る能力を越えており、その背後には国家の意思が働いていたと見るべきである、女影廃寺の造営も高麗郡建郡の一環として国家の指導のもとに行われたものであろう」