入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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◇ 東国の古代豪族と仏教ー9

埼玉県埋蔵文化財調査事業団副部長 高橋一夫氏 論文より

「女影廃寺の軒丸瓦は、その後の武蔵国の寺々の創建瓦の文様意匠に強い影響を与えている、女影廃寺の創建軒丸瓦を参考に造ったと考えられる軒丸瓦は3系統ある」

A系統は面違鋸歯文が二つの山形文が交叉する交叉鋸歯文に変化したもので、比企郡の西戸丸山窯跡で焼かれ、同じ比企郡の小用廃寺、足立郡の大久保領家廃寺に供給されている」

「大久保領家廃寺は足立郡の郡寺として有力視されている寺院であり、当時の足立郡には藤原仲麻呂の乱で活躍した丈部直(はせつかべのあたい)不破麻呂(のちの武蔵宿穪)の一族が勢力を張っており、この一族が郡司に登用され大久保領家廃寺を建立したのではないかと思われる」

「B系統の軒丸瓦は、面違鋸歯文が2本の波状文が交叉する交叉波状文に変化したものである、この種の軒丸瓦は勝呂廃寺で多量に出土し、また大里郡岡部町寺山遺跡からも出土している、勝呂廃寺は当初氏寺として創建され、後に入間郡の郡寺になった可能性の高い寺である、寺山遺跡については性格が不明である」

「C系統の瓦は、直行する周縁の内側に線鋸歯文が巡っているものである、この線鋸歯文も面違鋸歯文の退化したものである、このC系統の瓦は児玉町の金草窯跡で焼かれ、荒川左岸地域に広く分布する、C系統の瓦は、この地方の主要寺院の屋根を飾ったのである」