2011-01-25 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 ◇ 足立郡衙と足立氏-1 7世紀後半以降、東国は地方制度の整備が進み、律令国家体制が確立していきます、古墳時代において大規模な古墳を築造した豪族層は、今まで支配していた土地・人民を大和政権によって統轄され、政府の地方官人などへ変質を遂げてゆきます 行政区画として国郡制が施行された武蔵国は地方行政の1単位となり、国の中はいくつかの郡に分けられ、更に郡はいくつかの郷によって構成されることになりました、古墳時代において群集墳を形成したような家長層をはじめとする一般人民も、戸籍に組み込まれ、租税・徭役を負担する公民となりました 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷付近も当然その体制に組み込まれ、武蔵国足立郡の一部を占めていました、足立郡に置かれた郷は10世紀に編纂された『和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)』によれば、堀津(ほっつ)・殖田(うえだ)・稲直(いなお)・郡家(ぐうけ)・大里(おおさと)・余戸(あまるべ)・発度(ほっと)の七郷です