入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る

戸田の古を考える

戸田の縄文時代

縄文時代前期の前半は海進が最も大きく、川越市付近まで海水が上がっていましたが、前期の後半から段々と海は後退し、中期には海岸線は和光市の吹上貝塚付近まで後退し、中期後半には埼玉県内から海が完全になくなってしまいました

海が去ってしまい、残ったのは海に浸食されて残った谷と、そこから流れ出す湧水が干上がった泥床につくった幾筋かの河川でした、この河川に沿った微高地には、まだ湿地帯の部分が多くあったようですが、次第に陸地化していったようです

戸田市域の現在に近い地形(その後の土砂の崩れ、河川の乱流、洪水の影響、人の手による改変などによりかなりの変化はありますが)が作られたのはその頃のようで、陸地のいたるところに大小の沼地が残っていたのでしょう

そこには、湿地性植物が繁茂し、たくさんの小動物が繁殖していたでしょう、河川や沼には淡水魚がいて、貝類も豊富であったでしょう、戸田市内では、このころの人々の確実な生活の跡、集落の跡は発見されていませんが、美女木8丁目付近では、縄文中期前半時代の土器や石器が検出され、堤外字前原でも深鉢型土器の胴部の小片が発見されています

前掲の縄文人の化石人骨は、1979年10月戸田市文化会館建設工事現場から発見されたものですが、台地に住む縄文人にとって戸田付近は外海に通じる舟道であり、漁労の場所であったことを示しているのかも知れません、又、十三菩提式の深鉢形土器は戸田市本町で発見されたものですが、縄文前期の土器で完全な形に近いものです、推定口径16.6センチ、底径12.2センチ、器高25.9センチです