入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

学び合い 〔仲間募集〕 ℡ 048-432-1433

蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る

戸田の古を考える

戸田の弥生時代

約3000年から3500年前、古期利根川が古期荒川とともに、中川低地へその流路を変えため、荒川低地を流れる河川は、西方の丘陵より流れ出る古期入間川水系のみとなったのですが、そのための流量の減少で荒川低地に与える浸食、下刻、洪水などの影響が激減するのです、更に、わずかな海面上昇があり、荒川低地の戸田付近には潟湖が形成されます、潟の規模は小さいのですが、現在の微低地が海水の影響を受けています

戸田付近の浅谷地形の谷部に潟が形成されたあと海水面は後退し、それまでの潟は湖沼に変わってきます、中川低地へ移動した古期利根川と古期荒川は、水量の大幅な増加と共に大量の土砂を東京湾へ運び、その河口付近にデルタを形成します、また、古期入間川は台地沿いに南下し、現在の荒川の河道付近を流れていたその支流に合流し、そこに砂州を形成します、これらのため荒川低地の水は落ちる口をさえぎられることになります、荒川低地の沈降運動もあって、戸田付近の荒川低地には一大湖沼が出現します、この湖沼は水位も浅く、とくに微高地の部分は水辺となり陸化するときもあったと思われます、そして、この水位の浅い湖沼は現在の浦和、蕨、戸田、川口など相当広い範囲にわたってあったと思われます

約2500年前頃より浅谷地形の山部にあたる微高地は完全に陸化し、環境はすでに人の住める状態になっていました、そこに、大宮台地にいた人々や、直接、舟や自然堤防伝いにたどり着いた人々”弥生人”が生活を営むようになったのでしょう、戸田付近に方形周溝墓があるのは、現在の荒川のような大きな河川がなく、あまり洪水の心配がないという立地条件があったからと思われます