入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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◇ 日本のポンペイ黒井峯・西組遺跡ー5

平地式建物は、竪穴式住居跡と違い大きな穴を掘らずに建てられた家屋です、火山灰などない地域では、基礎が浅いせいか見つけることは不可能といってよいでしょう、黒井峯・西組の両遺跡から発見された約43軒の建物は、火山爆発の時に使われていた家屋で、竪穴住居(5軒)よりも数多く建てられていました、約43軒の建物は作りや内部の状態から住まい・納屋・作業小屋・家畜小屋などの性格が推定され、古墳時代の建築には多くの種類があったことがわかります

平地式建物の作りは径10cm程度の木を用い50cm間隔でつなぎ止めて壁を作り、茅やオギ・ヨシを葺いた草壁、草屋根構造です、内部には屋根を支えるための柱は置かず、きっちと組まれた壁がその支えの役目をはたしています、こうした構造は現代の工事事務所に見られるプレハブ構造と全く同一の方法です

平地式建物の屋根の形は、軽石が屋根を破壊していないので軒下へ落ちた軽石堆積の現象と、古代の建物屋根には雨水処理の雨樋がないため軒下に流れ落ち、自然に出来上がった雨落ち溝の2つの現象を観察して推定すれば、切妻か寄棟かの区別は容易に判断できます

建物の外で2辺に軽石が厚く、しかも雨落ち溝が確認されれば切妻屋根であり、4辺に同様の現象があれば寄棟と判定できます、これら4角形の建物の外に円形をしたものもあり、これの場合、軒下の軽石堆積や雨落ち溝も円を描くことからサイロに似た丸屋根と推定されます

住まいとした建物の根拠は、突然の災害で運ばれず置きっ放しの家財道具と簡単なカマド(径40cm、高さ約40~50㎝)、そして人が横になったり坐ったりするゆとりの空間である土座(本来はベット状遺構とも呼ぶ)があるものを住むための要素と見ることができます

家財道具はカマドを中心に素焼きの坏・甕・甑(こしき)・須恵器の大甕、水を運ぶ把手のついた提瓶(ていへい)が脇に置かれています、カマドの上の高い所には土を乗せた火棚と呼ばれる吊り棚が作られています、この棚の上には須恵器の高坏や坏、蓋など古墳の副葬品として置かれるような大型のものとか、作りのきわめて良い種類が置かれています

土器の年代から分析しますと一段階古いものが多く縁も欠けていないことから日常用いられる道具でなく、むしろ豊作の祈りなど祭事にしか用いられないものと考えられます、土を乗せた火棚はカマドの真上にしかなく、他の棚ではみられません

こうした方法は、現在より一昔前の農家の母屋に作られた囲炉裏の真上、自在鉤の根元近くにある格子の棚と同じで、物を置いたり乾燥させたりはするが屋根に火がつかないようにするためのもので、とくに土が乗せられていれば自動式の消火器としての機能を充分に発揮するでしょう

土を盛っていない棚(とくに北側に多い)には素焼の小さな甕や2合ほどの稲籾、小豆などが袋(?)に入って保存されていたようです、また、屋根の裏側には当時大切な鉄製の鋤先が隠すように差し込まれています、糸を撚るための紡錘車などは内壁に吊り下げられていたようです