入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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◇ 日本のポンペイ黒井峯・西組遺跡-6

寝起きするための場所は幅約1m幅で北壁や西壁に併行してみられ、土間の湿気や冷気を防ぐのに木を組んだものや、篠竹を1m幅に合わせて敷きならべた上に藁や編物を置いた痕跡が残されています、この痕跡の広さを現在の畳に換算すると、約7枚分となり大人ひとりの必要面積を1畳と仮定すれば、最高に見積もっても7人まで寝ることは可能でしょう、ただし、家族という形態や道具を置いたことも考慮すればもう少し人数は少なく見た方が正しいのかも知れません

こうした住居と、やや差の認められる住まいも中には認められ、これは寝る場所とわずかな土器類でけで火を利用するためのカマドをもたず、屋外にも設けられていない建物があります、このような建物は黒井峯・西組でも認められ、分棟式といって住む建物と火を使う建物が別棟となっていたと考える説や、一定年齢の男女が分けて住んでいた説とか、さまざまなことが考えられますが、日常用具である土器の少なさから数名程度しか居ないことしか分かりません

納屋と考えられる建物は、内部に火を焚く施設や寝るための施設がまったく見られず、1単位の中に1棟程度見られるだけです、作業小屋と推定される建物は、サイロ型をした家屋で大きさ3~4m程度です

この建物の特色は内部の土間に大型の甕類を安定よく据えるため、土間に浅く掘られた穴が蜂の巣のように数多く作られたものや、カマドが中央にあるもの、ひと抱えもある大型の甕がすっぽり入ってしまう穴が掘られたものなどさまざま状態が確認されています、仮に、古墳時代の人が入っても横になるスペースはまったくないほど狭い空間です

こうした中で、1988年2月に円形の建物の性格を追求すべく径3mほどの建物1棟を詳しく調査したところ、内部には壁に沿って大きさ50cmの穴があり、土間の中央に木製で桶と考えられる容器大小が1ずつ、しかもその脇に水汲み用の提瓶が2個体、ものを盛るための高坏、壁際に酒などの液体を注ぐハソウ、壁際の穴より液体を溜めたとされる横瓶(よこへい)が一個体ずつ出土しています

木製の容器を除けば全て須恵器を用いており、容器類の性格が液体に関するものばかりで、生活に必要な水場も最も近いことから酒造りを行った作業小屋と推定されます、これについては状況証拠のみで決定的なものはないのですが、容器に付着または吸収されている物質を脂肪酸分析で解明される方法もあり、現在分析中です

家畜小屋と思れるものは建物の外周に柱はあっても壁が1部もしくは全体になく、内部が仕切られている構造で建物脇に幅1m深さ50cmの溝1本が掘られたものです、動物がこの建物に飼われていたのではないかと推定した根拠は、建物内部の仕切られた部屋の土間(長さ約2m×1・5m)を丁寧に観察すると隅に近い所にほんのわずかなくぼみが対になって見られ、時には4ヵ所あったことから絶えず同じ位置に足踏みをした行動の結果つけられた痕跡と判断したことからです

黒井峯遺跡の5棟のうち、1棟の建物内部の土と建物脇の溝の土を脂肪酸分析したところ、溝底の土から牛の生体反応が確認され、家畜小屋であったことが証明されました、これによって建物脇の溝が家畜の排泄溜めであったことも同時に判断できました、家畜は、脂肪酸分析から牛でしたが、旧子持村一帯の最近の調査例から馬の足跡が広範囲に発見され、牛馬が同時に飼われたことが明らかとなっています