2012-02-04 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 《戸田の遺跡》 ◇南原(高知原=たかちぱら)遺跡第1次発掘調査ー⑧ (7) 総括 【古墳の周掘】 これまでに判っている埼玉県南の荒川下流域左岸の古墳は、さいたま市北区日進(旧大宮市)からさいたま市大宮区(旧大宮市)三橋の並木・側ヶ戸、さいたま市西区(旧大宮市)植水の佐知川・水判土、さいたま市桜区(旧与野市)白鍬、さいたま市桜区(旧浦和市)大久保に至る細長い地域にわたる自然堤防上や台地に分布し、それらが県南地方の代表的なものでした 戸田市の標高5m弱の自然堤防上には、鍛冶谷・新田口遺跡や前谷遺跡など弥生時代後期中葉以来の開発があることが明らかになっていました、そこでは当然古墳の築造も予想されていましたが、この度の調査でこのような発見ができるとは考えられていませんでした しかも、その規模は実測図から想定しても大規模なものです、墳形の詳細については全面的な調査ができていないので不明ですが、周掘の状態から推測して円墳とは考えられません