入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

学び合い 〔仲間募集〕 ℡ 048-432-1433

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー14

大谷場貝塚から発見された貝の殻は、、塩分の強い海に生息するものと河川や湖沼に生息するものの両方があります、とりわけ、マガキやヤマトシジミなど気水性つまり河川の出口など塩分の濃度の低い海に生息する貝が多くありました

特にハイガイという現在の東京湾には見られず、紀伊半島から瀬戸内海、九州地方の海にしか生息していない貝がごく普通に見られます、奥東京湾縁辺の貝塚からごく普通に発見されるのです

このことから、当時は、現在より海水温が高かったことが想像できます、海水温が高いということは、とりもなおさず、気候の温暖化を示しています、古くは、この海水面上昇は極地的な現象と考えていましたが、現在では汎世界的な現象であったと見られています

つまり、温暖化で、北極・南極の氷河、ヒマラヤ・アルプスの氷河が溶け、その結果、海水が増えたために、海水面が上昇し、内陸に海水が侵入してきたと説明されるのです、また、温暖化・海水面上昇を示す資料のもう一つに、千葉県館山市の沼のサンゴがあります、縄文時代前期に属する造礁サンゴの化石です

貝塚を作った人々は、貝を煮て食べたのですが、発見される貝殻の多くは、焦げてもいないし、割り傷もないのが普通です、このことは、煮沸して口を開け、貝の身を食し、また、ダシの出たつゆを飲んだものと考えられます

貝塚の時代は、海の幸にたよった生活であったことはうなずけますが、さいたま市緑区三室の山崎貝塚からはイノシシの頭骨が発見され、大谷場貝塚川口市小谷場貝塚ではイノシシの骨、また、大谷場貝塚では、シカの角やトキなど大型鳥の骨が発見されており、食糧事情もおおかた想像がつきます

しかし、大谷場貝塚からは、石鏃が4点出土したにすぎず、いかに狩猟がふるわなかったかを示しています、そして反面、漁労が主で盛んであったことを物語っています