入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー13

縄文時代前期前半、地球は沖積世に入って温暖化の極限に達した時期です、東京湾の海水面は、現在より2、3mは上昇していたと考えられます、この時、海水は、埼玉県内に達したのみならず、台地の裾を洗いながら栃木県の南部にまで及んでいました、これが奥東京湾と呼ばれる内湾で、地質学的には、有楽町海進と名づけられています

蕨市域は、ことごとく海面下に沈んだことになります、今から6000年前のことです、そして、蕨市に近接する大宮台地の縁辺には、人々の生活の跡が残っています、魚介類を生活の糧とした人々です、その当時の人々の暮らしを示す遺跡として貝塚があります

貝塚は、人々の食生活のうち主として貝の殻をまとめて捨てたところです、遠浅の泥海には、多くの貝が生息していました、もちろん、魚も豊富だったと思われるし、他の蛋白源も得られたはずです、また、海草も食されたと思われます

蕨市域に最も近い、さいたま市南区大谷場貝塚では、台地上に弧状に貝塚が分布し、各々の貝塚の下からは、竪穴住居跡や大きな穴が検出されています、貝の殻は、無作為に投棄したのではなく、足で踏んでも具合が悪いし、一か所にまとめておくという考えが貝塚を作らせたのでしょう