入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー29

方形周溝墓の出現は大きなことを意味します、面積にして100m平方を超えるような墓が、集落と隣合せに次々と出現したり、あるいは耕地を潰すようなことは通常のことではありません、次の古墳時代にその答えが用意してあるように、方形周溝墓は一般の人々の墓でなく、特定の人の墓であろうということが云えるのです

つまり、特別の誰かが特別な埋葬のされ方をするということであり、それはとりもなおさず、支配者の出現を意味するのです、支配者は、我が国においては、弥生時代に入ってから出現したと考えられるのです、方形周溝墓がそれを証明する重要な資料と云えるでしょう

なぜ、弥生時代に入ると支配者が出てくるのでしょうか、その答えの一つに水稲耕作があげられます、水田を経営するのは、計画性が必要であり、水利治水をはじめ種籾の管理の問題があるほか、収穫された米そのものを1年間食糧として保管し、計画的に供用していく必要があります、このことは現在においても変わるものではありません

ここから、富が生じ集団の中にあっては、統治が必要になってきます、統治するものは、世襲されるべき一族に属するであろうし、他の集団を属させることも可能でしょう

また、弥生時代に入り、金属器の使用は、工作用具にとどまらず、利器は武器にまで及びました、権力の象徴として携えたり、祭祀的な意味を持つこともあったでしょうが、銅や鉄の武器は、支配の歴史を考えるうえで有力な資料と云えます、もっとも、蕨市周辺で金属の武器が出土した例は、ごくまれであり、それも後期に入ってからのことです