入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー28

浦和市域の場合は、ほとんど舌状台地上に展開していますが、本村遺跡(さいたま市桜区下大久保)は、荒川低地の古い川が作った自然堤防上に立地しています、蕨市に近い宮ノ台式土器をもつ遺跡をあげると、さいたま市南区の円正寺遺跡、明花向遺跡、大北遺跡などがありますが、これらは、舌状台地上に立地するものの、眼下は溺れ(おぼれ)谷であり、さらに、荒川などの沖積平野に近いところにあると言えます

また、この付近では、弥生時代の水田跡は発見されていませんが、当然のことながら、溺れ谷や荒川などの沖積平野地に稲の栽培を試みたことが考えられます、こうした形で蕨市周辺は、かつて経験したことのない水稲耕作が繰り広げられていったのでしょう

宮ノ台式土器は、細頚の壺形土器が主ですが、特に壺形土器は、美しい器形をもち、器面の仕上げも丁寧です、また、甕形土器は煮沸用に使われたもので、ススが付着している場合が多いようです

明花向遺跡からは、方形周溝墓が発見されてます、方形周溝墓というのは、弥生時代前期後半に出現し、同後期に最も盛んになり、古墳時代に入って急に姿を消していくという、主として弥生時代を象徴する墓制です

1辺10mほどの方形の溝(一部切れるところがある)に囲まれた墳墓で、内部に埋葬された場所、すなわち、内部主体があります、これは、細長い舟形の掘り込みとなっています、当初はこの上に盛り土があり、墳丘の形を作っていたものと考えられます、こうした墓制が発見されているのは、南は宮崎県から北は、宮城県に及んでおり、全国では、数百の遺跡で発見されています