入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー19

縄文時代後期にも小さな海進(堀之内海進)がありました、沖積作用が進んでいたので、すべての沖積地が海底に入るというわけではありませんでした、なお、中期の春日部市の花積貝塚川口市の領家貝塚和光市の吹上貝塚などがあり、一部には奥東京湾が残っていました

後期から晩期にかけては、綾瀬川の谷に面する地域に後期の貝塚が多くみられます、綾瀬川の谷が最後まで埼玉県の海を維持していたわけです、川口市の江戸袋貝塚・猿貝貝塚・新郷貝塚・前野宿貝塚などが知られています、これらのうち江戸袋貝塚は、標高約6mの自然堤防上にあって、海進と沖積微高地の土地利用を如実に伝える遺跡として注目されます

以上は、主として河川の沖積作用が行われ、自然堤防が形成されている地域のことですが、蕨市域に近い見沼低地について考えてみると、見沼低地は面積1200haに及ぶ沖積地です、洪積台地である大宮台地浦和支台、片柳支台、鳩ヶ谷支台などに囲まれており、前述のように、出口が荒川の沖積作用で閉鎖され、結果的に淡水湖となりました

この湖は、後に見沼と呼ばれることになりますが、その面積は、日光の中禅寺湖とほぼ同じ、箱根の芦ノ湖ならその2倍にもなろう大きさです、当然ながら、多くの種類の魚介類が棲息し、その周辺には水を求め、また、水辺の生物を求めて多くの鳥獣が生息していたと考えられます