2011-03-18 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 ◇ 蕨の歴史ー22 縄文時代晩期には人面土器とされるものが各地で発見されておりますが、その殆んどは、精製土器で、人面も土偶などに結びつく神秘的な表現をしているのが普通です、呪術的な土器であり、神棚に飾られる器具であるわけで、日常雑器、即ち台所周辺にある器材とは、一線を画されるべき物です そのような観点からするとこの人面土器は、呪術的、信仰的、精神的な器財でないため、かえって、自由に人面を描けたことを重視すべきものです 土偶や呪術的な土器からは、平常の姿、形といったものは、なかなかつかめませんが、この土器には、日常の生活が含まれています、そして、たぶんその顔は、縄文人の男のごくありふれた顔、すなわち平生の顔なのです 蕨周辺の野山で、川や湖で、働き、遊び、歌っていた主人公の表情といっても過言ではないでしょう、前述の縄文時代前期のさいたま市南区円正寺出土の女性人骨が、科学を通じて現代に当時の生活を語るとすれば、この人面土器は芸術を通じて、それを語ってくれることになります、大宮、浦和、蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷付近の縄文人のありさまを伝える双璧と云えるでしょう