入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー8

利根川水系の中・下流域は、先史時代以降大きくその流路を変化させてきました、近世の改修以前の利根川群馬県前橋市付近で関東山地を離れ、熊谷市付近で荒川を合流させ、古(ふる)利根川の名で呼ばれているように、中川低地を流れて東京湾へ注いでいました

しかし、古期利根川は、さらに以前には現在の荒川低地を流れていたと考えられています、荒川低地から中川低地への古期利根川(古荒川を伴った)の移動は、上流側の加須(加須市)低地に古期利根川が流れ込むことによって約2000年前までに終了し、中川低地のデルタ化が急速に進みました

約2000年以前の古期利根川下流部の一つとして、現在の毛長川から上流に連続する大規模な旧河道が考えられます、そして、当時の古期利根川河口(東京都足立区付近)には、鳥趾状デルタ(デルタの分流に沿って微高地が水面につき出し、鳥の足状の平面をもつもの)が形成されていました

古期利根川が移動して、中川低地を流下すると、荒川低地の旧河道は沼沢化しました、一方東京低地の東部では、現在の古隅田川隅田川・中川・江戸川などに分流し、新しいデルタを形成するようになりました、もとのデルタと新しいデルタの間(現在の隅田川の東側)には遅くまで入江が残されました

蕨市の土地が直接の歴史の舞台として現れるのはおそらく縄文時代末期以降のことで、荒川低地の各地で自然堤防などの微高地に集落が形成され、後背湿地で水田農耕が行われるようになったのでしょう