入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー11

このころの石器は、剥片(はくへん)石器と呼ばれるもので、石材から薄く剥ぎとった石片(フレイク)に刃をつけたり、刃つぶしをしたりして作ったものです、ナイフ形石器が最も多く見られるもので、石の剥片の上方一方を刃とし、基部や背部を刃つぶししています、柄をつけ、槍先として用いたか、または、短い板をつけて工具として用いたと考えられます

旧石器時代も終末期になると尖頭器(ポイント)が多く見られます、板をつけて槍先として用いたものです、他にも石器の種類はいくつもありますが、ナイフ形石器は古く、尖頭器が新しいと云え、発掘調査でも、ナイフ形石器は、より下層のハードローム層から第1黒色帯あたりの層に含まれる文化に普通に見られることが明らかにされ、尖頭器は上層のソフトロームを中心に出土します

これらの石器の石材としては、黒曜石が最も一般的です、天然のガラスと呼ばれる黒曜石は、割ったり、刃をつけたりの加工に適し、固く、割れ口が鋭くなるので、利器として優れています、他にはチャートや安山岩が使われています

後期旧石器の自然環境についてみると、気候は冷涼で、まだ、火山活動による火山灰が降下し続けていました、冷涼の度合いは、現在の日光の戦場ヶ原とほぼ同じと言われています、人々は未だ漁労を知りませんでした

これだけの旧石器資料を残した人々については、残念ながら酸性の強い火山灰中では、人骨の残存は難しく、全く発見されていません、世界的には、旧石器人は猿人、原人、旧人、新人と各地で多く発見されています

大宮台地に生活した人々は、後期旧石器人の新人に属しますが、我が国では、沖縄県港川遺跡でその頭骨が発見されている港川人、その他に牛川人、三ヶ日人(静岡県)、聖嶽人(ひじりだけじん・大分県)などが新人と考えられています、新人は、現代人の直接の祖先ということになります