入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー31

住居跡を見ると、隅丸方形で規模に大小があり、一辺3~4mほどで、通例4本の柱と貯蔵穴、それに炉が設けられています、規模が小さくなると、柱穴の数が少なくなっていくようです、中で使われた土器は壺形土器、甕形土器、台付甕形台器を中心として、他に小型のものや高杯(たかつき)などがあります

さいたま市浦和区駒場の前耕地遺跡からは、甑(こしき)形土器が出土しています、高さ15・0㎝ほどで、規模的には小さいものですが、食物とりわけ米の調理を雄弁に物語っている資料です

方形周溝墓も、この時期、各所で見られるようになります、とりわけ、さいたま市緑区の井沼方遺跡では、群をなして発見されています、また、ごく最近の調査では、長さ約38㎝の鉄剣が方形周溝墓の主体部から発見され、注目されています

同じ主体部からガラス玉13点も出土しています、鉄剣については、弥生時代の例としては埼玉県内で2例目という珍しいものです、この地方を統轄していた族の首長あたりでさえ、武器を携えていたことを改めて知ることができたのです

なお、工具としての鉄器は、竪穴住居跡などから発見されることがあります、さいたま市緑区の上野田西台遺跡からは、鉇(やりがんな)が発見されています

述べてきました遺構は、関東ローム層というきわめて酸性の高い土層を掘りくぼめて作られており、鉄製品が残存するには、余りにも条件が悪いのです、従って、発掘調査で遭遇するよりはるかに多くの鉄器が、包蔵されていたものと推測されます

鉄製品のほかに銅製品の存在も見逃せません、明花向遺跡では、直径3・7cmほどの銅鏡が出土しています、遺構外出土であるので、果たして弥生時代後期かどうか断定はできないのですが、古くなる(中期までさかのぼる)ことはあっても、それより新しくなることはないと思われます

木器も残存しにくい遺物ですが、さいたま市黒神社遺跡からは、井戸と思われる土壙などの中から木製品が出土しています、木器としては、砧(長さ31・3cm)があり、他にも木製の梯子なども発見されています