入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー26

北九州地方に誕生した弥生文化は、米作可能な土地を求めて拡大していきました、しかし、弥生文化が紀元前300年ごろ北九州に始まったとして、最初の200年、即ち、前期・中期・後期に分けたうちの前期には、伊勢湾周辺に到達したにすぎません

最近の発掘調査では、東日本、特に東北地方に前期の遺跡が明らかにされつつありますが、それらは、徐々に東遷したもではなく、別の起因により伝播したものと思われています

蕨市周辺を中心に考えると徐々の東遷は、紀元前後のころと思われますが、時期としては中期にあたり、東海地方を経て東京湾から荒川低地を渡り到達したもの、中部山岳地帯を通り群馬県経由で北西からきたもの、中部山岳地方から東へ進み武蔵野台地経由でやってきたものなど、いろいろな経路が考えられます

いずれのコースを歩んだにせよ、寒冷地に適する品種の改良を試みつつ、水田に適する平野と水を求めて来たに間違いないでしょう、寒冷地に適する品種とは、とりもなおさず早稲(わせ)です、霜が降りる前の収穫が大命題であったでしょう

その克服は、穂摘みの繰り返しで、早く収穫された種籾(たねもみ)を選び、それを早く同時に蒔くことにより、霜前の収穫を確保したのです、石包丁が消え鎌になるのも、保摘みから稲刈りへの大変革を示しています

一枚の田が同時に実るという現在ではあたりまえの水田風景を作るのに、2世紀の歳月を要しているのです、品種の改良は、その後も怠ることなく続け、2世紀に至って、我が国の全域で水稲耕作が可能となったのでしょう