入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える

新郷古墳群ー峯、東本郷、赤井ー [7]

赤井の円墳については、その台地の周辺一帯が大きく土取りされ往時の地形が著しく変貌していますが、1968年に一部土取り工事がなされた際に、川口市教育委員会によって埴輪片が採集されています、おそらく、この時点ではすでに墳丘はなくなっており古墳跡の周掘に相当する部分から出土したものでしょう、埴輪片の種々の特徴からその時期は6世紀後半と考えられます、古墳の名前については一応「赤井台古墳」と命名されています

東本郷の東養寺境内の墓地にも古墳跡がみられました、ここは台地の緩い斜面が段状の墓地になっていますが、その一角に古墳の周掘と思われる黒土の部分があり、そこから埴輪片を採集しています、形象埴輪の一部と思われるもので、焼成はいずれも良く橙褐色を呈しています、赤井台古墳の埴輪片とその特徴は類似しており、時期的にも変わらないと思われ「東養寺古墳」と命名されています

先に記述しました宮脇1・2号墳は高稲荷古墳と同じ丘陵上にあったもので、高稲荷古墳の発掘当時、独立丘陵は長さ400m、幅約100mものでした、発掘調査後土取り工事され、西側の一部が残丘として余命を保っていましたが、宮脇1・2号墳はかろうじて痕跡を留めていたことになります、おそらく、この独立丘陵上には、小円墳が群在していたものと思われます

先日掲示しました第419図(2)は、高稲荷古墳出土と伝えられてきました勾玉です、2点ありますが、いずれも瑪瑙で、「コ」字形に近い形です、腹を正面にした場合1は右から2は左から穴をあけています、いずれも白と暗紅がまだらになっていて、特に1は白の部分が多くなっています、この勾玉は宮脇2号墳から出土した勾玉と類似しており、6世紀以降のものでしょう、伝えられるように、高稲荷古墳からならば、同古墳の年代はかなり下降することになりますが、おそらく、この勾玉は近隣した古墳から出土したものでしょう

高稲荷古墳が存在した当時、その北側に直径10m、高さ1.5mほどの小円墳があったようです、明治大学による測量図でも読みとれますが、この勾玉は、永年、新郷公民館に保管されてきた大刀1口ー第419図(3)-とともにこの小円墳から出土したものかもしれません