2009-12-18 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 金錯銘鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [3] 埼玉古墳群は、秩父鉄道行田駅の南東方約2.5km、JR吹上駅の東北方約3.5km、熊谷駅から東南東へ、鴻巣駅から北北西へともに約8kmの距離にあります 古墳群は、鴻巣から行田へ抜ける県道行田・笠原・蓮田線を挟む形で、ほぼ南北方向1.3km、東西方向約2kmの面積にして約2.6平方kmの地域に分布しています、これらの古墳群は明治年間には33基を数えたというが、現在は国史跡の指定をうけている大型円墳1基と前方後円墳8基のほかに、指定外の円墳数基が存在するにすぎません 明治時代の33基という数字もおそらくは完全な保存数とは思えません、天正18年(1590年)の石田三成による忍城攻略のための「石田堤」を構築した際などにも、採土工事で消滅した古墳があったと推定されるからです