入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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金錯銘鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [4]

標高20mの低い台地上に立地する埼玉古墳群は北側に旧忍川が流れ、また二子山古墳の東方の小埼沼(おさきぬま)一帯は、古代には利根川の入江であったと思われます

万葉集巻十四には「埼玉(さきたま)の津にをる船の風を疾(いた)み綱は絶ゆとも言(こと)な絶えそね」(3380)とあって、埼玉の入江に船がもやいであった情景がうたわれています、「入江にいる船が、風のため綱が切れるようなことがあっても、二人の仲は切れない」という意味でしょう、万葉集では「佐吉多万(さきたま)」あるいは「前玉(さきたま)」とあり、現在の埼玉が「さきたま」と呼ばれていたことがわかります

また、10世紀前半代(平安時代)に編さんされた辞書『倭銘類聚抄』(わみょうるいじゅうしょう)には「佐以多万」(さいたま)とあって、古代から両方の読み方が用いられていたことがわかります

「さきたま風土記の丘」の東側、鉄砲山古墳の後円部東側に延喜式内社である前玉(さきたま)神社が祀られています、旧埼玉郡の総社でもあり、この地域が北武蔵において文化・政治の一大中心であったことを物語っています