入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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金錯銘鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [6]

埼玉の東北部忍川に近く、東方に小針沼をひかえた地域には縄文時代の百塚貝塚があり、シジミ、ハマグリなどが主体を占めています、石器時代から入江となり人々の生活により良い環境を提供していたのでしょう、百塚という地名は、かってこの地域に多数の塚=古墳が存在していたことを物語っているようです、明治年間には大小33基の古墳があったと云われていますが、現在は確認された古墳址を加えても20基に満たなくなっています

埼玉古墳郡とその周辺の有り様を見てみますと、その古墳群の中で最初に築造された思われる大円墳・丸墓山古墳、その北方約2kmの地点の八幡山古墳、さらにその北方に方墳・地蔵塚古墳があります、稲荷山古墳の東方約1kmには前方後円墳・若王子古墳と円墳・愛宕塚古墳があり、地蔵塚古墳の北方約1.5kmには大型前方後円墳である小見真観寺古墳がります

さらに、その周辺には東方3・5kmに真名板高山古墳、南東13kmには天王山塚古墳があります、このような分布状態から考えると、埼玉古墳群は、これら周辺の古墳群の中心的存在で、ひと際優位に立つ存在だったと思われます


=おわび=

昨日は突発的なネット接続機器の不具合により、更新ができませんでした、お許しください、今後も出来る限り毎日更新するつもりですので、よろしくお願いします