入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える

古墳時代の概略 [2]

なお、古墳時代前方後円墳のような大規模なものばかりではありません、円墳を始めとする中小の古墳が群在し、古墳群が形成されている場合が多いのです、こうした群小古墳は群集墳と呼ばれていますが、五世紀後半以降増加し六~七世紀に全国的に盛行します、群集墳の存在は、古墳の造営が首長のみでなく、集団の成員にまで及んでいたことを示しています

群集墳を盛行させた社会的背景については、五世紀以降の生産力の発達が家長を中心とする大家族の自立化を進めた結果、それまで首長層の独占物であった古墳の築造が被支配者層にまで及んだとする考えが有力です、ただし、群集墳が全国的に盛行したといっても、一定の地域で把握した場合にはその分布に偏在があり、集落と群集墳が必ずしも対応していません

このことは被支配者の中にも階層差が生じており、首長層と擬制的にせよ同族関係を結んだ有力世帯員のみが、身分秩序の表現として古墳を築造できるようになったと、考えるのが適切のようです

七世紀後半になると東国でも古墳の新たな築造は下火となります、有力世帯の自立的傾向はそれまでの部族的結合をゆるめさせて、首長支配の基盤を崩すことになり、大和政権による地方支配の伸張とともに、新しい支配秩序が生み出されるようになります、祖先崇拝による血縁関係を基礎とした築造は、必ずしも支配ー被支配の関係を示すものではなくなったのでしょう


追伸

次の記事の項目は”金錯銘鉄剣(辛亥・シンガイ・銘鉄剣とも呼ばれています)と埼玉(さきたま)古墳群”に移りますが、その資料整理のため12月6日から12月15日まで更新を休みます、(12月5日は「俳句つくり 余情」を掲載します)12月16日より更新を再開しますので、よろしくお願いします