入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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金錯銘鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [12]

昭和53年9月19日発行の『毎日新聞』の夕刊に、稲荷山古墳から検出した鉄剣に、金象嵌による115文字の銘文があることが報道されました、そして、翌朝の各新聞社は、このニュースを大きくとりあげました

この発見は、この日より少しさかのぼります、『稲荷山古墳出土鉄剣金象嵌銘概報』の序文に埼玉県教育委員会の教育長石田正利氏により、簡潔に、その経過が示されています

「鉄製品は、昭和43年の発掘調査当時からみますと、かなり酸化が進行していることが判明しました、そこで、今回、奈良市元興寺文化財研究所へ、その保存処理を委託しました、稲荷山古墳出土の辛亥銘は、この保存処理実施の過程で発見され、エックス線撮影によって、その全貌が把握できるものであります」となっています

また、 銘文発見の刹那の感動は、読売新聞の「よみがえった銘文」の中に見事に書きつずられています

(昭和53年7月27日)『モルタル造りの鉄器処理作業室は、昼でも薄暗かった、天井の蛍光灯は、朝からつけっ放し、クーラーもなく、サッシ窓は開けたまま、その窓際の机で、同センター研究員大崎敏子(28)が、一振りのサビ果てた鉄剣と取り組んでいた、「あら!!」大崎は思わず声を上げて手を止めた、キラッと、何かが光ったのだ、鉄剣(長さ73.5センチ、最大幅3.9センチ)は、机に敷かれた白い紙の上に置かれていた、腐食がひどい、赤茶けた土ぼこりに覆われている、下手に触ると、ボロボロ崩れてしまいそう、だから、樹脂液に浸して固める、そのためまず、ブラシで土ぼこりを取り除いていた、その時である、剣先のサビの塊に、光るものを見た、カッターの先で、恐る恐るサビを落とす、光はさらに輝きをまし、奥へ伸びていた、長さ3ミリほどの細い金色の筋、ピンセットで突くと、しねっとした金独特のねばりが手に伝わってきた、「何だろう」、心が騒いだ、「これは鉄ではない」、さらに調べるとこの筋は全部で三つも見つかった』

このようにして、金文字の明らかにされた鉄剣は、国立奈良文化財研究所や京都大学教授の岸俊男氏等の間に知られ、慎重に、その判読の仕事にもとりかかりました、9月11日、その報告は、元興寺文化財研究所から、さきたま資料館に連絡があり、埼玉県教育委員会文化財保存課に通告されました