入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー36

古墳で最も大切な内部主体(死者を葬る施設)は、古いものは槨(かく)、竪穴式石室で、6世紀以降になると横穴式石室が盛んに行われるようになります、横穴式石室は、追葬といって石室内に死者を繰り返し葬ることが可能です、したがって、古墳そのものの考え方に大きな変化が現れてきたことを意味します

また、古墳の威厳を飾るものの一つに埴輪があります、5世紀の初頭に出現し、6世紀代になって盛んになります、鴻巣市の馬室(まむろ)や生出塚(おいねずか)などでは、埴輪窯跡が発見されています、周辺の古墳築造に大きな役割を果たしていたものと考えられます

行田市の埼玉古墳群のうち稲荷山古墳(前方後円墳)の礫槨から出土した鉄剣に115文字の銘文がありました、この古墳は、昭和43年に発掘調査を行い、その後、10年を経て保存処置を行ったところ、鉄剣の一つから、この金錯銘が発見されたのです、百年に1度あるかないかの大発見として大変な話題となりました

話題となった原因は、金の象嵌で鉄剣の両面に書いた文字が1500年を経て日の目を見、そしてその内容が、年月、系図、大王と自分の関係、この剣を作り、来歴を記したということで、我が国の歴史解明のうえでも、埼玉古墳の解釈のうえでも、当時の日本語を知るうえでも、鍛冶、作刀の技術を知るうえでも、大変重要な無二の資料であるということです